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マスコミと政治から見捨てられている三宅島

2006/10/8 写真を引き取って保存
三宅島は政治からもマスコミからも見捨てられています、このページは救援義務を持つ人のために現状を整理したものです。
8/29夜の時点で1900人の方がこの島にいます。逃げられる方は逃げて!と言うだけでいいのでしょうか?
 すでにこの島の生活と経済は破綻しています。立てなおす時期ではなく避難する時期でしょう。50年前、南の島で判断を誤ったようにならなければいいんですが。1900人の命よりも大事なことって行政責任者にありえることなのでしょうか?
桜島爆発記念碑
大正三年一月十二日、桜島の爆発は安永八年以来の大惨禍にして、全島猛火に包まれ、火石落下し、降灰天地を覆い、光景惨憺を極め、八部落を全滅せしめ、百四十人の死傷者を出せり、その爆発の数日前より、地震頻発し、岳上は多少崩壊を認められ、海岸には熱湯湧沸し、旧噴火口よりは白煙を揚がる等、刻々容易ならざる現象なりしを以って、村長は、数回測候所に判定を求めしも、桜島には噴火なしと答う。故に村長は、残留の住民に、狼狽して避難するに及ばずと論達せしが、間もなく大爆発して測候所を信頼せし、知識階級の人却て災に投じ、漂流中、山下収入役、大山書記の如きは終に悲惨なる殉職の最後を遂ぐるに至れり。
 本島の爆発は古来歴史に照らし、後日復亦免れざるは必然のことなるべし。住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤も肝要とし、平素勤倹、産を治め、何時変災に遭うも路頭に迷はざる覚悟なかるべからず。
大正十三年一月 東桜島村
三宅島を中心とした事象
6/26 三宅島で地震多発
7/08 1841三宅島噴火 雄山陥没判明
7/14 0414山頂噴火、噴石
7/19-29三宅、神津、式根に地震多発
8/10 0630噴火再開
8/13 1730噴火
8/14 1310噴火
8/18 1702三宅島噴火 落下物多数
8/28関東に異臭
8/29再度噴火、弱い火砕流で命拾い
8/29中途半端な説明会
8/18火山弾
通産省・工業技術院・地質調査所・地殻熱部・地殻熱探査研究室 東宮昭彦
 それほど大きくない物で権威ある所が収集した物を選んだのです。
 大きい物は1mぐらい、牧場の小屋類はボコボコの穴だらけ、牛が15頭直撃で死にました。
8/29神着沖の海面を火砕流が前進しました
この写真は
千葉さん@FNN撮影
8/29 0510ころ
飯沼義仁さん@大久保提供(早川さんのページより)

 低温と言うことらしいが1000度もないと言う意味です。てんぷらの温度、170度で大火傷するんですがね。

 島人はこの下に暮らしています

 山腹噴火が危険だと言うのだが、山頂噴火は危険ではないのだろうか?
 信じられないほどの想像力の欠如です。
千葉達朗の火山ページへのリンクから取得保存
7/22時点の大陥没地形
 8/28に6億立方m、(13億トン)の計算があります。
 どこへ消えたのだろう?

 最悪予想としては大カルデラの生成と津波による近隣諸島への被害があり、島がリング状になります。
東京都環境局環境評価部広域監視課
2000年8月31日22時
SO2ガス

噴火当日ではないが、この日も多い。
(私の推定では連日3000トン以上)の放出が続いている。計算には1桁以上の誤差がある。

もし三宅島にそのまま着地するとガスマスクでも駄目。死の島になるだろう。