2000/12/04 「三宅島噴火発生から6ヶ月」 くさやの清漁 (青山敏行) 三宅島 神着

2000/12/04 [miyakejima:09491] 三宅島噴火発生から6ヶ月 kusaya@miyakejima.net <kusaya@miyakejima.net>

6/26  都内の知人からの電話で三宅島に噴火の可能性? ”そんなの嘘だよ。地震もなんにも無いんだから。”こんな会話のあといきなり始まってしまった三宅島の雄山噴火。
6/29  いきなりの安全宣言。ひっきりなしで揺れている最中、夜9:00 いきなりの避難勧告の解除。消防団の当直中であり、いきなりの勧告解除に唖然としてしまった。そんなばかなことがあるか!!!と思った瞬間でした。
7/8  雄山山頂陥没。三池地区に降灰。この時の灰は我が家に記念として取ってある。
7/14、15  神着 島下地区、坪田三池地区に集中的に降灰を振りまいた本格的な噴火が始まった。
7/26 朝、出勤時間帯を狙ったような一時的な雨により、大規模泥流災害発生。泥流の中を渡って、命からがら助かった人たちがいます。泥流災害に備えるため、消防団の召集。初めての経験であり、この時にはまだ現場を見ていなかった事もあり泥流って何?の状態だった。後日、椎取神社、建材工場の状態、三七山の直線の惨状、三池地区までの泥流のすさまじさを見るにあたって、今回の噴火は尋常のものでは無い、と感じた。(1度目の奇跡)
8/10 再噴火。予知連の記者会見、一連の噴火による物であり、噴火が終息していく上での予想の範囲内。三宅島噴火は終息に向かっている。
8/18  噴煙は、17000メートルに及び成層圏にまで達し、ふもとには火山の石が飛び、気象庁未確認ながら、伊ヶ谷地区には直径50cmの大岩着弾。避難勧告が発令され、指定された体育館に逃げ、入りきれず別の体育館へ
そこも満杯。しぶしぶ降灰で真っ黒になりながら自宅へ帰る人あり。火山の噴石が降る中、トラックで伊ヶ谷地区に突入し、自宅から逃げることができなかった住民を助けるため、何往復もして助け出した人がいる。
 この行動によって助けられた住民が何人いたことか。阿古地区、伊ヶ谷地区の間でこの噴火の降灰を受けた人たちがいる。降灰により1m先が見えなくなり、車を捨てて徒歩で逃げました。道路わきのガードレールにつかまり、それを頼りに阿古地区避難所にたどり着いた人がいます。石にあたって死んでいてもおかしくなかった。
(2度目の奇跡)
8/29  二番目に大きい噴火発生。火砕流を伴い神着地区を直撃。幸い温度が低く、速度の遅い物であったため、死人の発生には到らなかった。我が家の庭は泥沼と化し、周りの木々は枝が折れまともな立ち木は1本も無いのでは?と思えるほどの状態になる。今までは見えることの無かった、海が見える。雄山が見える。いったい、何が起きたの?何をする気力もわかない。木が折れる音だけを、ただただ虚しく聞いていた。(3度目の奇跡)
8/30  雨の予報、泥流被害に備えた避難勧告。避難場所に指定された勤労福祉会館は風下に位置し、ガスの臭いはすごかった。目が痛くなり、最期には気持ち悪くなった。避難勧告解除。噴煙は相変わらず出ていた。少量ではあったが降灰もあった。
 慣れとは恐ろしいものだ、最初は灰が降ったら避難していた。もうこの頃は、少量の降灰では多少の不安はあるものの自宅に帰って一人になることも怖くなかった。いったいいつになったら終わるのか? いつになったら安心して寝られるのか?不安な毎日だった。
9/2,3,4  全島民島外避難。(4度目の奇跡)
9/5  雨。この日の雨で島中の道路が寸断され、全島避難がもう一日遅かったら島民はどうなってしまっていたことか?死人が出なかったとは決して言いきれない被害になった。伊ヶ谷地区、伊豆地区の泥流災害はこの日から始まった。
9/8  消防団解雇。離島。現在に到る。

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