2005年8月より「ある火山学者のひとりごと」は、arukazan.jpに移動しました(開設は1998年3月)
ある火山学者のひとりごと


オーナー:Tatsuro CHIBA
[過去ファイルのページへ][guestbook]

火山噴火・火山災害・地震災害・土砂災害のことなど、地球科学に関することなら何でも気軽に、書き込んでください。タグも使えます*。普段からいろいろ議論していて、緊急の場合には情報連絡板として利用してください。いったん書き込んだ後でも編集可能です。削除は本人と管理者が行うことができます。個人攻撃やデマや思い込み、不適切な発言はレスごと削除することがあります。掲示板上の発言は500まで表示されます。それを超える分については、アーカイバにすべて保存されており、過去ファイルのページで、いつでも参照が可能です。なお、あらしやロボット書き込み等防止のために、発言者のIPアドレスとブラウザ情報の取得を行っております。(アクセスカウンターは2005年8月1日より)。ロボットコメント阻止のために、画像認証を導入しました。【Sci-HUB】
LINK TO[火山のページ(移動中)][地球システム科学科(スタッフブログ)][レーダー雨量][気象庁][ちばのアンテナ][Web魚拓] [てるみつやブログv6.0][PASPRO掲示板][google my map][ある火山学者のひとりごと研究][ある火山学者の本棚]*)危険なタグは使用できません。ロボットコメントスパム対策のため、全角文字を含まない投稿はできません。管理上の理由で投稿や修正ができないことがあります。
[浅間最新カメラ画像一覧][桜島監視カメラ][google scholar][GEOLIS][画像投稿用(予備)]
  Page50 / 50  Top | Bottom 
   981〜1000件(保存数1000件) 
[HomePage]  ▼ 投稿する ▼ 編集する ▼ 管理用 


18141. 2012年03月14日 13時54分43秒  投稿:ちば 
自動車のカーナビの中には
通信機能を搭載しているものがあって
ユーザーの位置をGPSでリアルタイムに把握し
渋滞状況を把握しているものがあります

そのデータを使えば、高台避難に際して
渋滞が発生した様子とか
通信が途絶したタイミングとか
わかると思います

防災にとって非常に重要な情報となると思うのですが

18140. 2012年03月09日 15時19分05秒  投稿:TAKO@塩竈 
>18137.Hal.Tさま

宮城県塩竈市での状況
・携帯  きちんとした記憶がありません。幸い家族が共に行動できていましたので利用を控えました。
ちなみに、固定電話ですが避難先の利府町内で地震後(16時頃だったか)に「災害用伝言ダイヤル(171)」に繋がり、安否情報を登録しましたが、そのあとその電話も利用できなくなりました。

・インターネット(PC固定回線) 停電のため光回線は電力復旧まで利用不可。

・防災無線(塩竈市本町) 地震の揺れ終了後5分程度(つまりは15時くらい)からスピーカーから流していたと思います。なり始め時間はもう少し後だったかもしれません。体感的にはそのくらいだったと思います。
 内容は、サイレン、大津波警報(宮城県で6mの予想、高台への避難よびかけ)。わたしは防災無線がなり始めた直後に、車で高齢者たちと利府町方面に逃げてしまったので、いつまで鳴っていたのかは不明。 

・避難の決意のタイミングと理由
地震の揺れ終了後即座に、避難を決め、避難呼びかけを始めました。
理由は、50年前のチリ地震津波の被害を知っていたからです。(2010年2月のチリ地震津波などでも、自宅は避難指示区域となっており、その際にも避難していました。)

18139. 2012年03月09日 10時30分53秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20110311touhoku/communication/index.htm]
まりもさんありがとう、ところで、私がちまちま集めた範囲の情報は↑のURLにあります、まだこの程度なんです。

18138. 2012年03月09日 09時59分41秒  投稿:まりも 
> Hal.Tさん
仙台ではDoCoMo、au、SBMともに地震最中からほぼ通じない状態でした。
Willcom同士だけが唯一いつでもすんなり通じておりました。

音声の発信規制はDoCoMoが最大で90%、auが95%、SBMが80%でした。
また、Willcomは対携帯各社への発信規制のみ18時ころまで50%程度掛かっており、
宮城県においてのみですがDoCoMoだけがパケット通信規制が30%掛かっておりました。

宮城県内での話ですが、DoCoMoでは14:46の発震後、14:48にはシステム許容上限値を超えた
通信状態となり、以後15:11までは呼損率が大幅に上昇していきました。
そこで15:11に音声およびパケットの規制が開始されたのです。

18137. 2012年03月09日 05時27分24秒  投稿:Hal.T 
あいかわらず3/11の時に起きた通信障害を1時間後ぐらいまでの時系列について調べているが、さっぱり通信業者は公開しない。守秘契約をすれば情報を所持しているので、見せてくれることはわかっている。でも、守秘して見せてもらっても役立たない。

災害は事後の対策も必要だが、最初に被害者、それも死傷者を減らすことが必要だ。死者が少なければ何とか立ち直れる。各種の観測と通信の対策が事後対策に偏っているのも、最初の津波観測と通信の失敗をきっちりと評価していないからだと思う。

そこで、皆さんに聞きたいのです。着目時間は地震直後から1時間、それ以後はわかっています
・インターネット、メイル、携帯電話Docomo,AU他は使えたのか?
・地域防災無線やスピーカーはいつまで、どのような情報を流していたのか?
・津波から避難する決意をいつどんな理由でしたのか?

ここに書いてもらっても、個人あてでも結構です。(内容は統計にして砂防学会で公開します)

18136. 2012年03月07日 17時25分10秒  投稿:TAKO@塩竈 
 [https://picasaweb.google.com/106277863983170684064/UTVrt#5649999368864583346]
前にも書きましたが、3.11が近づいてきたので・・・・投稿したくなりました。
塩竈では、50年前にチリ地震津波の被害を受け、現在は海岸から数百メートルとなっている、わたしの住んでいる町内でも、港から船が流されてきたりしました。多くの家が浸水被害を受けました。
現在では、町内には、しっかりとした防災無線のスピーカーもあり、3.11でもしっかりと機能しました。

しかし、小学生が4年生くらいで地域のことを学ぶための教材(地元の教育委員会が作ります)の防災の項目には、すでに津波に関する記述がなくなっていました。
大雨による浸水被害についての記述と置き換えられてしまっていたのでした。
大雨も津波も、その防災対策を知っておくことは有用ですが、結果として小学校で津波について学ぶ機会がなくなっていたのが現状でした。
塩竈は、逃げるための丘、そこに登る道がたくさんありますので、避難行動さえすれば、人的被害は大きく軽減されると思いますが、「教育」がなければ犠牲は免れないことを、心に刻み込んでほしいと今も願います。

ちなみに、貞観津波のことを事前に知っていた知人は一人だけでした。

東日本大震災の地震直後、わたしは人々に直ぐに津波が来るから逃げるよう指示をすることになりましたが、大人の人たちも、なかなか津波の危機を感じてはくれませんでした。
地震の揺れによる恐怖と、それが収まったことからくる安堵のなか、次にくる災害をイメージして、行動に移るのは、意外と難しいようでした。
ご高齢の方々などを、車に乗せて、内陸の利府町方面へ逃げていただきましたが、そのうち一台は、わたしの指示を理解していただけずに、港の方面に走りだしてしまい、とてもあわてました(結果的に、その車も津波からは逃げられたのですが。。)。

多くの人々は、防災無線から大津波警報のアナウンスが鳴り響いて、はじめて避難するかしないか(!)考え始める感じでした。わたしの家のあたりでは、浸水高が地面から数十センチ(塩竈港での浸水高さは標準海水面から約4mくらい)でしたが、ほとんどの人は自分のいる建物の二階に逃げただけだった、というのが実情だったようです。多くの人が自宅の二階などから車が目の前を流されるのを見ることとなったわけです。
幸い、塩竈では家屋流出が少なかったので、津波による犠牲者は、石巻などと比べて少数だったといえるわけですが、紙一重であったと思い返します。

今、塩竈では、老朽化していて震災にあった多くの建物が、危険建築物として取り壊しが進んでいます。うちの隣でも6〜7件の家が取り壊され、空き地が広がっています。津波で流されたのではなく、地震の揺れと液状化による地盤の変形と津波の水による被害で傷んだ建物が、今になって取り壊されて、結果として空き地だらけの町になっています。その跡地に新しい建物はほとんどできず・・・。そんな感じです。


18135. 2012年03月07日 14時02分16秒  投稿:おおさと 
 [http://dl.ndl.go.jp/]
 国会図書館デジタル化資料に3月12日から3月17日までの石巻日日新聞の号外(壁新聞)がアップされています。⇒アクセス数ランキング参照↑
 
 こういった記録の保存も過去の事実の共有につながるのでしょうね。

 最近、下記のような古い文献のデータベースが多くできている。
 災害に関しても多くの記述があり、最近、示方書等の由来を探るためによく見ているのだが、過去に苦労した記憶の何を学んだんだろうと思うことがたまにある。
 せっかく記録や反省点、そして対応に関する根拠と対策方法までがちゃんと書かれているのに、今回の地震を含めて同じようなことが繰り返されている。
 特に昭和20年以降そのことに気が付かれていないと思うのは、思いすぎなのだろうか?
 
・情報入手のためのリンク
                                          
※木名著百書(明治から1945 年まで)文献解題:
 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/s_book/jsce100/s100list.html


※土木学会デジタルアーカイブ
 http://www.jsce.or.jp/library/page/report.shtmll

 
※アジア歴史資料センター:
 http://www.jacar.go.jp/ 
 

※近代デジタルライブラリー:
  http://kindai.ndl.go.jp/index.html 


※国会図書館
  http://www.ndl.go.jp/ 

※日本建築学会図書館デジタルアーカイブス:
  http://news-sv.aij.or.jp/da1/

※国文学研究資料館
  http://www.nijl.ac.jp/


18134. 2012年03月07日 02時15分37秒  投稿:Hal.T 
3・11の地震を群馬県で体験したんですが、その時の、私と友達の子細経過。
2011年03月11日(金) 14時48分29秒 地震感じる
東北沖と知り、死者4万人に近くなるだろうと話をしていた記憶がある。

2011年03月11日(金) 15時26分51秒 釜石、全滅に近い津波だ
2011年03月11日(金) 15時31分54秒 サーバ復旧(前橋と千葉)
東北では岩手県立大学以外のすべての大学と研究機関へのインターネット接続がNG

2011年03月11日(金) 16時12分59秒 電話は不通になっている。東京では火災(我孫子)
2011年03月11日(金) 19時18分12秒 福島第一原発 緊急事態宣言
2011年03月11日(金) 22時00分13秒 東北の火山観測は停止状態(気象庁)

18133. 2012年03月07日 02時04分06秒  投稿:ちば 
 [http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68320135]
まりもさん>
 東部道路がなかったら、来ていたかもでしたね

 『仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う』という本が
1995年に絶版になっていましたが、最近再版されて、
仙台の金港堂で買いました。

このようなすばらしい本があったのに
生かせなかったのが、残念です。

18132. 2012年03月06日 23時28分10秒  投稿:まりも 
実際に仙台周辺では、国道4号バイパスを超えたところにまで過去に津波が到達していたという
事実を知らない人がほとんどでした。今だに知らない人のほうが大多数です。
それを知っていれば、少なくとも国道4号バイパスより西側まで逃げようとしたのでしょうが…。
自分は国道4号バイパスよりも西側の苦竹駅近辺にいましたが、そこでも梅田川などを津波が
遡上してくるととっさに判断し、揺れが収まる前から車で長町周辺の比較的標高の高い場所まで
避難しました。

揺れの長さから尋常じゃない規模の地震と判断しました。揺れが収まる前に、直感でM8越えを
確信しておりましたし、緊急地震速報の震源情報から仙台湾周辺でも高さ10m程度の津波が発生
するものと考えました。ただ、この付近は遠浅なので、津波の到達までは恐らく1時間程度の
猶予があるという判断もできておりました。この辺は我ながらとても冷静に考えられたと思います。

とにかく、揺れが収まってから動いたのでは渋滞に巻き込まれると思ったので、渋滞が発生する
前に脱出を試みて、普段とほぼ変わらない時間で20分後には目的地に着いていましたから…。

結果的には津波が国道4号バイパスを超えて来るようなことはありませんでしたが、波の回析により
仙台周辺の津波がより高くなっていたとすれば、国道4号バイパスを超えてもおかしくない状況だった
と考えています。

とにかく、過去の事実を皆で共有し受け入れることが大切なんだと思います。

18131. 2012年03月06日 23時08分05秒  投稿:ちば 
 [http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1072/20110604_01.htm]
なべさん>
 たぶん、地震が大きかったので、
実際に多くの人が高台に逃げたんだと思います
どれくらいの標高をもって高台だと思うのかが、
違っていたのかもしれません
石巻の日和山のような都合の良い高台はそんなにありません

石巻の北上総合支所は、宮城沖地震の想定津波到達高度より、50p高いという
位置を選んで作られた新しくできた施設で、
ちゃんと津波の避難所にも指定されていたわけです。
そこに避難した人たち
防災計画通り 避難訓練通りに 行動したひとが津波にのまれ、
生存者わずかに3名だったわけで、
バリアフリー重視、高台軽視という感じかと

18130. 2012年03月06日 20時54分32秒  投稿:なべ 
ちばさんもそうだと思うけど、

私は小〜高校を仙台で過ごしたので、「海辺で地震にあったらとにかく高台へ逃げろ」と何度も何度も言われた覚えがあります。だからあの日も、一周年特番の続く昨今も、逃げない人がいた、少し逃げて安心した人がいたことが納得できません。いつの間にそんなことになったのかなあ?それが近年の津波警報の空振りの所為なのか、それとも「そんな時代じゃない」と津波を軽視する時代状況だったのか、近年の学校の避難訓練(いや家庭の意識なのか?)がどうだったのか。陸前高田の奇跡と、大川小学校の悲劇と。たまたま私の父親が東北電力で災害対策に関わっていたからなのかなあ?

18129. 2012年03月06日 13時57分12秒  投稿:Hal.T 
実はね、私が電子技術や防災以外の動物や生態学に関心を持ち始めたのは、ちばさんの赤色立体地図からなんだ。あれがどうして立体に見えるのか?、非常に不思議で、おそらく人が進化していく道筋の中に原因があると思ってね。

中生代まで、哺乳類は日蔭者と言うか夜にガサゴソ。新生代になってからも霊長類はやはり森の中で生きていた。哺乳類はだいたいが色感覚が貧弱で昆虫と花のように色彩をベースにしている感じは無い。したがって森の中で夜間や薄暗い所で立体視する必要性があれば、どうしても赤色側に偏った立体視をするのだろうと思っている。

ま、そのあげくのはてに人の進化ってのを読んでいるとね、人はやはり動物なんだ。しかし、動物とは言ってもかなり変種で、生まれてから後の情報で生きている部分も多い。それが、このはなしのきっかけなんだ。

また、別の側面では生態学と生物進化と地質の関係がものすごく密接だってこともおもしろい。ひいては砂防や防災と生態学と進化の話はべったりひっついていると思うのさ・・・・世界はおもしろいよ。

18128. 2012年03月06日 10時50分08秒  投稿:ちば 
1>体で覚えていること
地質調査で沢詰めをして尾根まで出ると
たいてい道はない あの手この手で戻るわけだが
沢を降りるのは危険性が高いので
尾根をたどる 時に藪に遭遇する
そこは 入ってはいけないので
ほかのルートを考える 臨機応変に
どうやって明るいうちに無事に帰るか
場合によっては 滝を飛び下りて戻ったこともある
そういう経験が、学生時代からたくさんあるわけだが
いろいろなところで役に立っていると思う

2>知見とは何か
何かが来るとか起こるとかいう外部の予知情報に頼るのは
あれなので あくまでも 自分の知識で判断するということか
大切なのは その地点の地図を読むこと
 地形から判断するのではないか
どっちが高いか どっちにいくか
渋滞しそうだとか 
その瞬間にどこにいるかはわからないわけだし

18127. 2012年03月06日 09時22分43秒  投稿:Hal.T 
実際
1>やっぱ、体に叩き込むしかない → 反射的なもの
2>とっさには作れなくなってて → 記憶と知見による行動

この2種類が緊急時の反応としてあるので、1>の方策だけではうまくいかない事がわかるでしょう?

18126. 2012年03月05日 23時39分28秒  投稿:コバやん 
18120で仰っているように、
やっぱ、体に叩き込むしかない、、ってのが、正解なんじゃないでしょうか
そして、すぐに引き出しから出せるように継続訓練がなされているかどうか。


卑近な例で申し訳ありませんが、
料理も一緒かも、、と思いました。
グータラ兼業主婦の私は、(子供が小さいうちは時間に追われてて、)お恥ずかしい話ですが、
気がつけば10年以上、きんぴらごぼうをつくってませんでした。
だから、たかがそんなものでさえ、久しぶりにつくろうかなとゴボウを買ったはいいけど、
とっさには作れなくなってて、我ながらびっくりしました。
ちゃんと時間のあるときに復習しないと、バタバタ忙しい平日にはなかなか。。
(←失敗したら明日の弁当のおかずが困ると思うと、よけいに平日は敷居が高くなる。。
  休日は休日で後回しになっちゃうし。。)

「そういう能力が本来備わっているはずだけど、、」というのは、これと共通するところがあるように思います。
(←あまりにも卑近な例ですいませんが。。)

18124. 2012年03月05日 07時05分39秒  投稿:ちば 
富士山の現場に数十人で一斉に入ったことがありますが
毎朝、円陣を組んで、やりました。
KY活動。足元よし!とか
一見、もっともらしい堆積物に見えるが、踏み込むと
穴が、ポッカリとできたことがあったから、みんな気をつけろとか
多くの現場とか、想像力とか、そのへんの地質がよくわかっているとか
いういわば長老役 は私だったんで、
いちばんはらはらどきどきしてたかもですが
そういえば、朝のKY活動のときは、若い人にもやらせましたね。

おかげさまで、無事に無事故で

18123. 2012年03月05日 03時31分36秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/madlabo/company/kiken1.htm]
いや、長老ではなく、そういう想像力と感受性があるものが指揮すべきだと思うし、現場に入る段階でスポーツのように輪を組んで、命令や指示の絶対性と全員の元気具合を確認するんだ。これは、チバさんとこでもやるべきだと思う。ダム工事など大手の現場では必ずそうしていることは知ってるでしょ。

想像力は知識に裏付けられるから、災害現場を多数見て、その災害の原因や、そこの地質がそこそこわかっている者が安全管理すべきなんだ。だから、いつも私になってしまい、興味の中心である肝心の作業監督は別の者になる。作業監督したいけれど、それよりも安全の方が大事だと思うんでね。

しかし、判断がみんなの命にかかわるので、ものすごく気を使うし、安全命令は即時+断固として守らせる必要があり、ある種の独善性が必要だってのも私の普段の態度や意識に沿わないんだな。

18122. 2012年03月05日 00時36分06秒  投稿:ちば 
Hal.Tさん>
 いろんな失敗の経験、しかも大失敗ではなく
ひやりとしたくらいの経験が たくさんある
そういう 長老のような人が 安全管理をするのがいい
というかんじでしょうか

18121. 2012年03月03日 23時40分08秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/madlabo/company/kiken1.htm]
ダム工事で谷を切り開いている所に行ったりした経験から言えることは、実際にそんな極度に危険な場所で安全管理をする手法があるようです。とにかく安全を維持するってのは知らせるだけじゃダメで、ある意味で軍隊的なヒエラルキー構造が無くては無理みたい。

URLは、実は災害地に学生を連れて行って見学させた経験からの記述でもあるんです。その他、学者先生と一緒にN君と3D観測をした経験で学者の行動を見ていて、我々が連れていく作業者の安全を危惧したからでもあるんですけどね。

もひとつ言えば、私は30年ほど前に、山や谷を越えて新潟から関東まで引いてある高圧線の山中保守をしていて、彼らの安全管理手法に感心したってこともある。とにかく安全を指揮する人間を置かなくては駄目だってことなんだ。そして、安全管理者は絶対的権限を持っていることを皆が認識する必要がある。

こういう経験から津波災害について言えば、起きるべくして起きたとしか言いようがない。つまりね、民主主義の時代は誰か有力者が命令しても無条件にしたがわせるのは無理。民主主義の政治がへたれなのも仕方がない。そういう社会の構造的なものじゃないかなと思うんだ。

以下はありません。
   981〜1000件(保存数1000件)