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ある火山学者のひとりごと 17700-17799


17799. 2011年04月12日 23時02分47秒  投稿:へなちょこ 
17785> まりもさま

ご教示、ありがとうございます。

結局
「宮城県沖地震を起こすとされる牡鹿半島沖のアスペリティ(固着域)が既に滑ったのか、まだ滑らず残っているのか、判別できていない。」
なんですね。

17798. 2011年04月12日 23時02分33秒  投稿:ヨッシー 
 [http://bousai.maechan.net/earthquake/seismometer/]
地震計モニター@千葉県千葉市花見川区(自前設置 2011/4/12〜)

17797. 2011年04月12日 04時08分54秒  投稿:Hal.T 
(出版権の存続期間)
第八十三条 出版権の存続期間は、設定行為で定めるところによる。
2 出版権は、その存続期間につき設定行為に定めがないときは、その設定後最初の出版があつた日から三年を経過した日において消滅する。

私の過去の経験から言えば、電子技術関係では、そのたびに出版の許可を要求するのが慣行です。しかし、慣行ってのは地域や業界でも違うので。出版権としてあらかじめ設定したものかどうかは確認しておく必要があるでしょう。

PDFにするならば600DPIぐらいで、綺麗にページ単位にして完全複製できるぐらいにした方がいいと思います。文書こそ我々の知の源=巨人の肩ですから。

17796. 2011年04月12日 01時12分39秒  投稿:かわべ 
>当初の出版社である松文社の複製出版権を継承した第三者が居なければ、
>原著作権者の飯沼さんからOKがでれば可能だと思うのですが。

私もそう理解しています.

>フリーとなると印税に相当する対価をどう処理するかという問題も出てきますね。

私の同僚が,現在,仙台の奥様の実家の方に行っていて,
避難所におられる著者の飯沼勇義さんに,
その辺の話をしてもらっているはずです.

対価よりも読まれることに意義を感じておられるような
感じもしますが,出版経費はかかっているはずなので,
その辺はどうするかということは問題です.

とりあえず,ご意向をうかがってからということですが,

同僚は,今日は職場に戻ってこなかったので,
ご意向は聞けてません(会いに行ったかも不明).

>PDF化
見開き(印刷すると袋綴じになる)の状態なら,
コピーするのと同じ手間なので,コピー機にノ
ートパソコンを繋いでAcrobatでスキャン.
(前発言の引用部分は,PDFからのコピペで,
よく見たらAcrobatの誤認識がありますね)

17795. 2011年04月11日 23時47分04秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20110311touhoku/index2.htm]
東北地方太平洋沖地震 生き抜いた人々と支援者のPTSD
ちょっと論考をまとめてみました。

と言うのも、私もそこそこあちらこちらの災害地にでかけるのですが、たいていは土砂崩れ。死者が大量に出ていてもすべては土砂の中。実は死者を見たことはありません。今回は手をつないでいて相手が死んでしまった、災害地に入って累々と並べられた遺体を見たなど、現地に入った者から記録に残すことはとてもできないと言われています。土砂に隠された被害とは違って、津波ではすべてがあらわになってしまうと言う事もあります。そんなわけで、人間集団の生きる闘争と言う意味では戦争と同じような心理障害が多発するものと思えるのです。あらかじめ、そのことを気にしていただければ、被災者はもちろん救援に入った方の役に立つと思ってまとめてみました。
------------------------------------
PDF化>松文社と著者の許諾があればOKですが、金銭回収などはしかねるので、はっきりとフリーであると言明が無ければ無理ですね。私の著作物なら版面保持条件で即座にフリーにしちゃうんですが。対価が必要なら買ってもいいですね。郷土史の本なので、それほど高くは無いでしょうから何人かが集まれば大丈夫でしょう。誰か話をしてくれませんかねえ。

17794. 2011年04月11日 22時54分49秒  投稿:堀越 
Hal.Tさん 
>フリーライセンスならば当方でPDF化してもいいんですが、無理でしょうね。

当初の出版社である松文社の複製出版権を継承した第三者が居なければ、
原著作権者の飯沼さんからOKがでれば可能だと思うのですが。
フリーとなると印税に相当する対価をどう処理するかという問題も出てきますね。
ユーザー登録情報を各ページに付加するという、日本規格協会JIS規格ダウンロード
と同じ手法で、一応ユーザーの複製に歯止めを掛けることもできるのでしょうが、
PDFはセキュリティが甘いようですから、知らないうちに回り回っては避けられないでしょう。

17793. 2011年04月11日 20時12分08秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/book/index.htm]
>「仙台平野の歴史津波‐巨大津波が仙台平野を襲う」飯沼勇義著、松文社1995、絶版
フリーライセンスならば当方でPDF化してもいいんですが、無理でしょうね。

17792. 2011年04月11日 01時44分12秒  投稿:かわべ 
ちばさん>

> ここは、宝文堂さんに復刊してもらいましょう

おお,こういうのがあるんですね.

しかし,河北の「予言」・・・
ものすごく違和感があります.
緻密な歴史学的データの積み重ねの上での「予測」なんですよね.

復刻されたら絶対買って持っているべき本だと思います.

17791. 2011年04月10日 23時37分20秒  投稿:ちば 
 [http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=53155]
かわべさん>
 ここは、宝文堂さんに復刊してもらいましょう

17790. 2011年04月10日 13時11分08秒  投稿:かわべ 
>飯沼勇義氏もご無事でした。(赤旗4月6日)
>「仙台平野の歴史津波‐巨大津波が仙台平野を襲う」飯沼勇義著、松文社1995、絶版

すでに出版元の松文社は無いとのことで,
amazonでは古書も出てきませんが,
先日,私の同僚から借りました.
同僚の義父が仙台若林区で,
飯沼勇義さんから直接寄贈していただいたもの
だそうです.

全235ページで,
序章 津波の恐ろしさ
第一章 仙台地方の歴史津波
第二章 古代大和政権の東北経営と津波災害
第三章 貞観津波と仙台平野
第四章 慶長津波と仙台平野の海波伝説
第五章 慶長津波後の仙台平野の荒所開
参考――津波防災対策試案
となっています.

以下,本書の「はじめに」の一部の引用です.

『 私は仙台平野の東部太平洋岸の或る集落から、福島県いわき地方の
沿岸集落の住民意識の実態を調べました。何れも津波襲来はあり得ない
から私たちの生活は安全だと言う。

 三陸地方ならば津波の常習地帯だし危険だからいろいろな津波防災が
必要だと言うのです。しかし、この三陵地方ですら数百年前までは、今
の仙台平野の太平洋岸からいわき地方にかけての地域と同じように、津
波襲来があり得ない安全地帯であったという事実を忘れてはなりません。

ましてや、過去に、仙台平野の仙台沿山厚から福島県いわき地方に至る
太平洋岸には、巨大津波襲来の歴史があったことを知るべきでしょう。
三陸地方はリアス式海岸だから津波があるということではありません。

 平成六(一九九四)年九月、既に本書の原稿を完成し、同年九月三十日付、
仙台平野の中核都市仙台市市長藤井繁殿宛、また平成七二九九五)年九月、
宮城県知事浅野史郎殿宛に、来るべき巨大津波に備えるための防災対策に
ついて、「陳情魯」と「仙台平野地方(仙台地方)の津波防災について」を
提出しました。そのあらましをここでご紹介しておきます。
 本書は、仙台市、宮城県のみならず、北は宮城県石巻市から南は福島県
いわき市に至る太平洋岸の各市町村を対象としたものであります。』

もし,ご覧になられたい方がいましたら,私宛ご連絡ください.

17789. 2011年04月10日 08時02分25秒  投稿:堀越 
「津波てんでんこ」の著者山下氏が急死に一生ご無事でしたが、この本の著者飯沼勇義氏もご無事でした。(赤旗4月6日)

「仙台平野の歴史津波‐巨大津波が仙台平野を襲う」飯沼勇義著、松文社1995、絶版

17788. 2011年04月10日 00時21分00秒  投稿:やぎ 
 [http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/107_3_index.html]
原子力安全保安院地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループの議事録が上に示したURLで読めます。平成21年6月24日第32回と平成21年7月13日第33回で貞観地震についての話があります。

ざっと読んだ限りでは、貞観地震の津波堆積物から読み取れる、・津波がかなり大きなものが来ていること、・震源域が想定より南側で規模も大きいこと、が指摘されています。津波のことも指摘されているのに、東電、保安院とももっぱら貞観地震の地震動の話しかしていません。例えば第32回で指摘されたことに関する第33回で示された回答コメント(http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/033/33-1.pdf)には津波のことは何も書いてありません。
地震動に関しては、周辺の起震断層の評価に関して厳し目の評価していたりするんですが、津波は軽視していたことが読み取れるなという感じです。


17787. 2011年04月09日 18時28分01秒  投稿:かわべ 
 [http://negawa.heteml.jp/]
FCOREL(Corel Users Forum)のオーナーの お昼寝うさぎさんからのメッセージの転載です.

>仕事が暇になったので、「東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)に
>よる津波浸水マップ」を作りました。
>現地へ行くことが出来ないので、こういうボランティアも「あり」かと
>思うのですが…。(^_^;
>
>津波浸水マップ---> http://negawa.heteml.jp/
>
>とりあえず、1/25000ベースで
>岩手県
> 宮古市
> 宮古市田老地区
> 山田町
> 大槌町
> 釜石市釜石湾(中心市街地)地区
> 釜石市鵜住居地区
> 大船渡市中心市街地地区
> 陸前高田市中心市街地
>
>を作りました。
>
>今、宮城県に着手しています。
>
>フリーソフトならぬ、「フリーデータ」として公開しますので、このような
>情報を求めている人がいましたら、ご利用・ご紹介ください。

>Regards,
>お昼寝・うさぎ(fcorel@nifty.com)

17786. 2011年04月09日 15時06分22秒  投稿:TAKO 
 [http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00462.htm?from=top]
これは・・・・・。なんという悲しみ。>「石巻・大川小の悲劇」読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00462.htm?from=top

>17778
4/7夜半の余震時に、NHK定点カメラ画像に写った発光は、仙台変電所におけるショートだそうです。

>17782、17781
「まるで、『すごろく』か『人生ゲーム』で、
『ふりだしにもどる』が出てしまったような、
とても大きな失望感が町に満ちてしまいました。」

翌日夜までに、塩竈市本町では電気・都市ガス・固定電話・ネット環境などが復旧しました。
断水が残っています。
スーパーやガソリンスタンドの行列も、解消に向かうでしょう。
「振り出しに戻る」ではなく、「三マス戻る」とか「一回休み」が出たというのが、本当のところでした。
夜中の余震直後に、津波の関係ない丘陵地などではガソリンスタンドに直ぐ行列ができたのだそうです。人の心の不安が物流障害をもたらすことの好例でしょう。そこに並んだ車の多くは決して「ガス欠」なのではなく、人々は、自分の車のタンクを「満タン」にしたかったのです。
心のガス欠。

17785. 2011年04月09日 14時01分17秒  投稿:まりも 
17783> へなちょこさま

> 20110311のM9.0の地震発生以降、いろいろなHPを梯子していますが
> 「想定宮城県沖地震のアスペリティも動いたので、想定宮城県沖地震も発生したと考えられる。」
> と明瞭に記載しているHPは無いような…。
まさに、それについて書かれています。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110409t13043.htm

17784. 2011年04月09日 12時53分08秒  投稿:ちば 
 最近こんな想像をします。
もし、タイムマシンで3月10日に戻れたら、何をするだろうか

(1)あした大きな地震が起きて津波が来る。さあ高台に逃げようと呼びかける
(2)このころは良かったなあと、知らんふりをして平和な最後の1日を満喫する
(3)時計を見ながらひどく怯え、自暴自棄になる
(4)海のそばにいって津波を見て飲まれる
(5)福島第一まで行く。前日でも何か打てる手はあるかもしれないので対策を

いけるのなら10年後に行きたい

焼け野原のような町はきっと復興しているだろう
海岸に堤防は築かれているのだろうか、その高さはいったい
漁業は、港は、町に避難ビルはできているのか

それにしても 福島はどうなっているのか、
ああ、日本はどうなっているのか

1000年後にも行きたい

断層面に油をさしてヌルヌル地震にして
うまくカタストロフィーを避けているだろうか

17783. 2011年04月09日 02時15分42秒  投稿:へなちょこ 
17782> ちばさま

初めまして

20110311のM9.0の地震発生以降、いろいろなHPを梯子していますが
「想定宮城県沖地震のアスペリティも動いたので、想定宮城県沖地震も発生したと考えられる。」
と明瞭に記載しているHPは無いような…。

来週、開かれる地震調査委員会での評価に注目しています
(仙台市民・宮城県民・東北人としては、発生しましたよと言って欲しいところですが)。

17782. 2011年04月08日 23時43分57秒  投稿:ちば 
TAKOさん>

まるで、「すごろく」か「人生ゲーム」で、
「ふりだしにもどる」が出てしまったような、
とても大きな失望感が町に満ちてしまいました

夢に出そうですよね

最大余震が場所によっては最初の地震よりも
大きかったようですね。

それでも、だんだんには 少なくなると思うので・・・


その余震の後の電話での会話

Q「もう、あれよりも大きい地震は来ないんといってだよねぇ」
A「そういった。かなり今回は大きい余震だったけどね。小さいかったでしょ」
Q「このあいだの地震のあと、《宮城県沖地震》が起きました、
と、ニュースではいっでないがら、「まだ、これがら宮城県沖地震が来んでねのか」
という人が。結構いるんだけど」
A「いや、たぶん その《宮城県沖地震》が連鎖の引き金になって、
今回の 大地震が起きたんだから、
もう その 想定《宮城県沖地震》の話は ないとおもうよ」
・・・

このへんの事情を、ちゃんと反省の弁も含めて
われわれは、周知しておくべきですよね 
それとも われわれは 事態が まだ よくわかっていないのか?

17781. 2011年04月08日 18時25分21秒  投稿:TAKO 
塩竈市本町在住です。昨晩のM7.1余震。またしても津波警報発令。我が家も即座に避難。
しかし、夜は暗闇のなかで持ち出す荷物をまとめられません。
1月前より、もっとずっと何も持たずに避難となりました。
幸い、2時間ほどで警報解除となりましたので、家に戻りました。家族も無事。
そして、またしても家具は倒れずにすみました。

でも、せっかくライフラインが回復(ガスが3日前かな)し、鉄道が動き出したのに、
またまた断水と停電、電話の不通。ガスも止まる・・・。
今日は、ガソリンスタンド、スーパーの行列が再び長く伸びて。。。

まるで、「すごろく」か「人生ゲーム」で、「ふりだしにもどる」が出てしまったような、
とても大きな失望感が町に満ちてしまいました。
しかし、この投稿をしていることでわかるとおり、先ほど塩釜市本町では停電が復旧しました。
都市ガスも大丈夫のようで、断水だけ残りました。まずは、よしとしましょう。
ご心配ありがとうございました。

○今回の余震被害
建物のガラス破損、地面の不等沈下・舗装などのひび割れが多い印象です。
(宮城県塩竈市〜多賀城市)
○今回の揺れの印象
細かく激しく揺れました。時間的には3/11よりずと短く1/3くらいに感じました。

想定されていた宮城沖地震の震源域のアスペリティは、3/11に既にズレたのでしょうか?
余震震源がその付近だけ少なく見えます。
(http://www.hinet.bosai.go.jp/hypo/hinet/map/30days/EXP04.png)
そして4/7のM7.1の震源深さが66km(気象庁)とのことで、これは
プレート境界型ではなく、海洋プレートのスラブ内地震だとか・・・・
まだまだ沖合を震源とするM7〜8の余震や、M6クラスの直下型を警戒しなくてはいけないのでしょうねぇ。
何回「ふりだしにもどる」のでしょう・・・・。という気分です。


17780. 2011年04月08日 11時46分18秒  投稿:ちば 
 [http://www.slideshare.net/iaea/radiological-monitoring-and-consequences-of-the-fukushima-nuclear-accident-1-april-2011-1430-utc]
IAEAのチームの土壌サンプリングによる調査結果
やはり北西の福島方向が目立っている
Radiological Monitoring and Consequences of the Fukushima Nuclear Accident (1 April 2011, 14.30 UTC)

17779. 2011年04月08日 10時40分55秒  投稿:ちば 
 [http://eetd-seminars.lbl.gov/sites/eetd-seminars.lbl.gov/files/Fukushima1_Technical_Perspective_LBL_EEDT_04052011-1.pdf]
NRCの福島原発事故のレポート
CAWHAT HAPPENED IN FUKUSHIMA -A TECHNICAL PERSPECTIVE
LBNL EETD noon Seminar -April 5, 2011
The Nuclear Accidents at the Mark 1 Boiling Water Reactors (BWR) at Fukishima Daiichi Units 1 -4and Implications for American BWR

17778. 2011年04月08日 01時12分14秒  投稿:みき 
 [http://www.jma.go.jp/jp/quake/20110407234633391-072332.html]
17776 関連

あのスパークの直後から、仙台市内が真っ暗になっていくのを
NHKのカメラが映していました。
かなりわかりやすい現象でした。
せっかく仙台市内は311の停電が復旧したというのに・・・。

17777. 2011年04月08日 00時58分06秒  投稿:まりも 
あれを発光現象だなんていう人がいるんでしょうね。
津波警報・注意報はすべて解除になりました。

17776. 2011年04月08日 00時56分38秒  投稿:まりも 
NHKの映像は仙台駅前ビルから北方向を映しておりました。
あれは高圧電線のスパークによるものと思われます。
そのため、仙台市中心部より北側で停電しております。
仙台市北半分から宮城県北部までほぼ全ての地域で停電しております。

17775. 2011年04月08日 00時03分13秒  投稿:yawing 
自宅のある小金井市で震度3とのことでしたが、棚から物が落ちるくらいに揺れました。

TAKOさん、大丈夫でしょうか?
NHKの仙台から地震発生時の映像で、何か遠方に閃光が映っていましたが、何があったのでしょうか?
現地のみなさんの無事をお祈りしております。

17774. 2011年04月07日 23時02分43秒  投稿:おおさと 
 [https://lh3.googleusercontent.com/_fZUIcmDVOZo/TZvwV4gQSRI/AAAAAAAAZqY/xW1MN_c4yz0/s512/DSC05846.JPG]
17771ちばさん>

杭ごと引き抜かれて建物が転倒し、しかも群杭が折損しているなんて。衝撃の写真!!! ↑
基礎ごと持ち上げられているこの写真、重心を低くさらに建物を重くしなければ避難ビルにはできないことを意味している。

17773. 2011年04月07日 20時59分54秒  投稿:ちば 
 [https://picasaweb.google.com/arukazan/201143#]
TAKOさん>
 写真を紹介いただきありがとうございます
仙台周辺の様子はずいぶん違いますね

上のリンクは先週4月3日に撮影した石巻です 
わたしの母校である門脇小学校は全焼でした
 地点によって津波堆積物は違っていました
南浜町や門脇でも海に近いほうは砂がたまっていますが
中瀬も砂です 
旧市街地、住吉から駅裏にかけては黒いヘドロが多くたまっています
長時間堪水していた範囲と一致するのかもしれません
この嫌気性の泥はとても臭いですし、破壊された建物や船に由来する
さまざまな有害物質が含まれていると思われます 
除去作業には吸い込まないように細心の注意が必要です

17772. 2011年04月07日 10時00分39秒  投稿:TAKO 
 [https://picasaweb.google.com/106277863983170684064]
>17770
同じ津波の水が来ても、その被害の有り様は地域によって全く異なるようです。
浸水水位が同じでも、津波の「速さ・勢い」の違いで被害は異なっていることがよくわかります。
水位は、痕跡などで記録されますが、「速さ・勢い」は「波」の遡上高を見るとわかります。

女川は、まさにリアス海岸で太平洋に向けて開いた典型的なのV字型の湾のV字の頂点、湾の奥に市街地があり、津波の遡上高も高くなっています。波」の運動エネルギーが、その市街地というかV字の頂点に集中してしまったという感じなのだと思います。あの病院の一階まで水が来たとは、本当に驚きです。

わが塩竈市は、湾口に宮戸島・桂島などがある松島湾に面しており、この松島湾は入り口が浦戸諸島によって外洋から守られ、かつ湾口に比べ湾内が広いという地形に助けられたのだと思います。
すぐ東側の松島湾外の東松島市野蒜などでは、木造家屋はほとんど完全に破壊されています。

しかし、岩手県山田市のように入り口が狭く湾内が広いというところでも大きな被害が出たところもあるので、平面的な湾の形だけではなく、湾内の水深も大きく影響を持っていることがわかります。
ちなみに、松島湾内の水深は5mくらいととても浅いのです。

しかし、松島湾内と太平洋(仙台湾)とを結ぶ代ヶ崎水道から塩釜港にいたる部分は、水深が深く、その直線上に位置する、塩竈市北浜や藤倉は、大きな被害を受けました。コンビニが柱と屋根だけになっていました。電柱はZ字を二つタテに重ねたように折れ曲がっていました。木造家屋は崩壊。やはり塩釜港(千ヶの浦)のV字の頂点のあたりになります。波の水位が4〜5mくらい。そしてその地域は水の運動エネルギーも大きかったようです。
同じ松島湾内でも塩竈市港町や七ヶ浜町東宮浜などでは、水位はそれなりであっても建物が根こそぎ破壊されるような被害は少なかったのです。

そして、女川では礫だけが残っていたということですが、塩竈市本町では水の引いた後は、いわゆる「ヘドロ」が堆積していました。松島湾内、特に塩釜港のヘドロです。水の移動速度が遅く、運搬力も小さく、軽く細かい粒子でも、引き波で運ばれることなく残ったのでしょう。
多賀城市などの海岸から3kmほどの浸水被害域を現地で見ると、水位は高く(2mくらい)でも家屋そのものが水で破壊されたということは稀です。車が流されて家屋を破壊していても、水そのものの勢いは弱かったことが分かります。しかし、ヘドロは少ないです。太平洋(仙台湾)そのものには、仙台港内以外は、ほとんど無いからなのでしょう。

自分が体験した津波が、津波の全てではなく、自分の地域の被害が最大なのではないこと、
津波といっても地域により、いろいろな実相があること、を知らなくてはなりません。
一度津波を体験していても、次は別の場所で別の被害を目の当たりにすることを知らなくてはなりません。
それにしても、系統的な専門家のみなさんの調査と、今後の防災に生かされることをご期待申し上げております。

PS.わたしの職業とかもわかってしまいますが、塩竈市界隈の写真をアップしてありますので、リンクしておきます。

17771. 2011年04月07日 01時28分44秒  投稿:ちば 
 [https://picasaweb.google.com/arukazan/201144#]
4月4日に女川町で撮影した写真です

17770. 2011年04月07日 00時57分07秒  投稿:ちば 
 [http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819499E2E7E2E3E78DE2E7E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E7E2E6E0E2E3E2E2E0E2E0]
女川にも行ってきました
痕跡から、20m弱の津波に襲われたことがわかります。
4階建ての建物が水没する高さは、
すべて人の想像を超えていたのでしょう

この記事で紹介されている
女川町立病院は、高台の少ない女川に防災拠点を作ろうということで
急峻な山を削って平らな土地を作って そこに建てられた病院です
その高台の病院の1階にまで到達していました

「津波」というのは よくないタームだと思った
これは いわゆる 「波」 ではない
一過性の ザバーン とくる 波 とは違う

地質学的にみれば瞬間的な
「一時的な海水準変動」 というか 
そんな 静かな感じではない

女川の地面には砂も泥も残っていなかった。
10cm以上の礫だけしか残っていなかった。
これは 何 と言えばいいのだろう
そこにあったはずの 建物がないだけでなく
その破片もない

17769. 2011年04月06日 11時05分35秒  投稿:ちば 
サーバー移転しました。
その関係で、昨晩、一時アクセスできない状況がありました。
ご心配をおかけしたことをお詫びします。
とりいそぎ

17768. 2011年04月04日 22時00分44秒  投稿:ちば 
 [http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_windowLabel=dwdwww_main_book&T3200029671164966377985gsbDocumentPath=&switchLang=en&_pageLabel=dwdwww_start]
もくせいさん>
 情報どうもありがとうございます
SPEEDIの情報もそうですが
テレビは詳しい専門的な情報をそのまま出すのではなく
中学生レベルでもわかるようにわかりやすい表現に加工して
放送する とか よくいいますが それにしてもです
ついに 単位を一切言わずに 
平常時とか基準の何倍ですになってしまったようですね

17767. 2011年04月04日 21時52分28秒  投稿:まりも 
>17765
プレスリップというか、9日の前震による変化からの続きでしょう。

17766. 2011年04月04日 16時45分18秒  投稿:もくせい 
はじめて投稿させていただきます。

「日本で公表されない気象庁の放射性物質拡散予測」
読売新聞のwebニュースで、以下の記事がありました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。

ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。
(以下、略)

そのサイトは案外簡単に見つかりました。

http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_windowLabel=dwdwww_main_book&T3200029671164966377985gsbDocumentPath=&switchLang=en&_pageLabel=dwdwww_start

17765. 2011年04月03日 23時23分41秒  投稿:TSKA 
東北太平洋沿岸で、3.11の48時間前にプレスリップははじまったのか?
以下のデータをどうご覧になりますか?
http://h-shioi.la.coocan.jp/GPS/GPS_OshikaBaseline_110213_0312.png

17764. 2011年04月03日 20時32分23秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/topics/html20110311144626/main_20110311144626.html]
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による強震動
この中に
K-NET/KiK-netの地表観測点で観測されたリアルタイム震度の伝播の様子はこちらです。(動画は> 実際の5倍速です)
ってのがあります。
震度についておもしろいのは、かなり大きい震度であり、最後に残るのが東京近傍だってこと。関東平野の堆積物(沖積層)の問題が明瞭に見えている。つまり、東京では強震動が増幅されて長く残るってことだ。(まえちゃんに教わったURLを見ての感想)

17763. 2011年04月03日 19時38分11秒  投稿:いしい 
 “ビデオニュース”で群馬大学大学院教授の片田敏孝氏が “「想定外」にい
かに備えるか” として神保氏,宮台氏と対談しています.釜石市での避
難行動の感動的な話が聞けます.
 4月3日現在,放送は有料ですが,防災に関心のある方は一見の価値が
あります.

17762. 2011年04月03日 03時57分27秒  投稿:かわべ 
 [http://kei.kj.yamagata-u.ac.jp/kawabe/www/20110311tohoku_eq/index.html#yamagata]
4月に入ってガソリン供給も安定して,
待ち時間無しに満タンにできるようになり,
ようやく身動きができるようになりました.
なんか,ほんとに「こころも満タンに」です.

で,いつも震度の大きく出る中山町長崎と,
その行く途中の天童市高擶の被害調査を行いました,

鳥居の被害が少なく,
中山町長崎も含めて,意外にも土蔵の被害が目立ったのが
特徴的です.

同じ土蔵で比較するというのは,山形市内だと容易じゃない...

17761. 2011年04月02日 20時26分26秒  投稿:ヨッシー 
 [http://bousai.maechan.net/nuclear/]
ガイガーカウンター リアルタイムモニター@千葉県千葉市花見川区(自前設置 2011/4/2〜)

17760. 2011年04月02日 12時19分43秒  投稿:ちば 
 [http://goo.gl/maps/Ixsv]
12345さん>
 そうですね。
「これより下に家を建てるな。」明確に書いていますね。

google map で 集落の様子がよくわかります ↑

海岸平野では この手は難しいのでしょうが
南浜町は夜間無人にして 日和山にマンションを建てて通うか

17759. 2011年04月02日 11時41分22秒  投稿:12345 
17720.ちばさんのコメント
>やはり、monolithのような稲井石の石碑を津波の到達限界に建て、
>表面に文字を刻み込む。
>そこに「大津波がここまできた。ここから先にはあまり住まない方がいい」
>と記録すれば、1000年間持つのではないか

の『石碑』、80年前に作った人がいたようです。読売新聞より

「此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う」
 「此処より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
 「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪」
<以下省略>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm

17758. 2011年04月02日 10時38分57秒  投稿:ちば 
 [http://www.eorc.jaxa.jp/ALOS/img_up/jdis_opt_tohokueq_110324.htm]
まだ、ガソリンが不足しているようですが、一回、石巻にいってきます。

17757. 2011年04月02日 10時05分38秒  投稿:ちば 
 [http://www.eorc.jaxa.jp/ALOS/img_up/jdis_opt_tohokueq_110324.htm]
JAXAのページにあるALOSの3/24と3/14の写真の比較画像

3/14-24にかけて色が明るく変化した部分は緑色に表示されます
石巻市街地の、駅の北側や袋谷地で道路のパターンが見えますが
この地域は3/14段階で水が引かない状態だったのが
24には引いていることがわかります、道路上には泥などがあり
明るく映ったようです
一方 マゼンタ色の部分はこの間に色が暗く変化した範囲です
この間、ずっと水が引かなかった範囲は 青または灰色で示されます
南浜町や釜地区は引いていないようです


17756. 2011年04月02日 09時56分36秒  投稿:ちば 
 [http://www.iwanami.co.jp/kagaku/]
原発震災関連 石橋先生の資料

17755. 2011年04月01日 16時09分57秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.hinet.bosai.go.jp/topics/fball100807/]
防災科研Hi-netで捉えた2010年8月7日の火球による振動

地震と津波はあまりにも心理的に重いので、たまには宇宙からの訪問者って話もいいんじゃないかな。さあて、背筋を伸ばして深呼吸しようよ。

17754. 2011年04月01日 07時58分37秒  投稿:堀越 
紀州出身の方で瀬藤象二(1891生)という電気工学者がおられた。
後年、東芝専務、日本原子力事業(株)会長として原子力発電の基礎も築いた。
この方、なんと浜口梧陵が創設した耐久学舎の出身。
今回の津波被害を見たらなんと言われたのだろうか。

17753. 2011年04月01日 07時58分21秒  投稿:やぎ 
GoogleMapの空中写真が、被災後のものに更新されていますね。
国土地理院が公開している場所以外、福島県以南や北上川河口付近のようすがわかります。

17752. 2011年04月01日 02時37分59秒  投稿:ちば 
 [http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290226.html]
Asahi.comに 野蒜のニュースがありました。 
「津波なんてここまで来るわけがない」
そう言われながら10年かけ作った岩山の手作り避難所、70人の命救う

「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。 津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、 建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。佐藤さんは「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」と喜ぶ一方、「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさもにじませる。「佐藤山」には、もともとあった山桜のほか、しだれ桜や数々の山野草が植えられている。津波に襲われた登り口付近の梅の木は、地震後に白い花を満開にさせた。「早く平和な日常が戻るように」。佐藤さんは、様変わりした野蒜地区を見てそう祈っている。

このへんのようですGOOGLE MAP

17751. 2011年03月31日 00時02分37秒  投稿:Cauli.@那覇 
 [http://www-gis5.nies.go.jp/osenyosoku/index.php]
国立環境研究所大気汚染予測システム(愛称:VENUS)↑、「(2011/3/22) 東北地方太平洋沖地震の影響のため、当分の間、本サイトの閲覧ができません。」との断り書き。

地震でシステムが動かないのか、動いてはいるけど閲覧できなくしているのかは定かではない。

なお、大気汚染防止法第2条第13項で、『この法律において「有害大気汚染物質」とは、継続的に摂取される場合には人の健康を損なうおそれがある物質で大気の汚染の原因となるもの(ばい煙(第一項第一号及び第三号に掲げるものに限る。)及び特定粉じんを除く。)をいう。』と規定されているが、環境省はヨウ素131とかセシウム137を「有害大気汚染物質に該当する可能性がある物質」と認めていないので(中央環境審議会「今後の有害大気汚染物質対策のあり方について(第九次報告)」(平22.10.18))、上記システムの対象となることはあるまい。

17750. 2011年03月29日 21時07分06秒  投稿:なべ 
TAKOさん>

 2004年中越地震の少し前、山古志分校で「長岡地震の発生が予測されている.もし発生したら山古志は土砂災害で大変なことになる」と生徒に話していました。地震後に避難所でかつての教え子に遭遇し、「先生の行った通りになりました」と言われました。その時の無力感。彼が建築士として復興に尽力したのが慰めですが。

17749. 2011年03月29日 20時38分54秒  投稿:ちば 
TAKOさん>
 うちの妹の家も塩釜だったのですが、微妙な地盤高さの違いで
浸水を免れたようです。でも、地震の揺れによる建物の傷みがひどく
建て替えをしないとならないと聞きました。
 緊急時に車で避難するのは、しごく普通の対応と思いますが
距離や渋滞のリスクを考え、残された時間で安全な高台までたどり着けるかどうか
瞬間的に判断しなくてはならないので、難しいですね。
 1960年のチリ地震津波から40年の間にいつのまにか
毎年の避難訓練や教科書の記述もなくなってしまったのでしょうか
それよりももっと大きい「貞観津波のことをもっと声高に伝えればよかった」
という反省は、それを知っていた人すべてに共通する無念な気持ちでしょう。

17748. 2011年03月29日 18時35分15秒  投稿:TAKO 
宮城県塩竈市在住です。家の玄関先まで津波が来ましたが浸水せず、無事だったことを先に投稿しました。3月11日を思い出しつつ、防災上の反省点を書いてみます。

○地震の揺れ収束直後に、津波からの避難行動に入った.
×車で逃げた。・・・・停電で信号が機能しなくなり、直ぐに渋滞となった。
 高台まで無事到達できたのは幸運。しかし、(それ故我が家の二台の車は助かった。)
 知り合いは車ごと流され九死一生の経験をされた。
×本震のあと3時間くらいしてから、現金など、持ち出し損ねたものを取りに徒歩で自宅に帰り、後続 の津波に襲われ建屋2Fに避難。水が引いてから急いでまた高台に避難。
○本棚、食器棚など転倒防止措置をしてあった。
○発電機付きラジオ、発電機付き懐中電灯をもっていた。
○灯油ストーブを捨てていなかった。

普段の生活が、車生活なので避難も車で、となってしまったのは反省点。信号が止まることを想像できていなかった。
高台に避難できたのに、もう一度戻ったのは、どうみてもまずかった。津波の水が流れるのを眼前で目撃してしまった。

その上で、もう一つ指摘をしてみたいと思います。
塩竈市では小学校4年で地域のことを学びます。その授業で使う市の教育委員会が編纂している教科書に、今、津波のことが載っていません。かつては1960年のチリ地震津波のことが載っていましたが、後年に大雨災害の記事に差し替えられてしまったようです。それが、ずっと気になっていました。
子供ばかりでなく、大人でも津波の恐ろしさを知らない方が多いように思っていました。最近10年の間にも、たびたび津波注意報、警報が出ましたが、ほとんどの人が避難行動をされていませんでした。今回も、私が津波が来るから山に逃げろ!と叫んでも、津波が町の中まで来ることを理解できなかった方々がおられました。
三陸のリアス海岸地域以外では、同じような状況であったと推察しています。

さらに反省点として、
貞観地震の津波のことを、わたしは知っていました。2000年有珠山噴火以来、この掲示板などで専門家の方々の知見を知り、いろいろな研究所のWebSiteを教えられていたからです。しかし、町の人に話すことはありませんでした。多賀城市や野蒜(東松島市)の方々にお教えしておけばよかったのですが。。。

17747. 2011年03月29日 14時56分09秒  投稿:ちば 
石巻の津波被害
 お袋に聞いた友人の母親の場合
 南浜町の平屋の自宅で強い地震を感じた。
津波が来るぞという防災行政無線のアナウンス、
「うちにいらっしゃい」ということで、隣家の2階に避難した。
ところが津波は2階まで到達。3人で2階の押し入れに避難。
かろうじて、水から逃れることができた。
幸いにも、すぐ隣に頑丈な建物があり、
その影だったためか、何度も押し引きを繰り返す強い流れに流されずに済んだ。
津波は収まったものの、周囲の水は全く引かなかったので、完全に孤立。
翌日、屋根で手を振り、助けを求めているところを発見され、
ヘリコプターで釣りあげられ、助かった。
自宅は、完全に流され、基礎部分しかのこっていない。
その後、中学校の避難所にしばらくいたが、交通の復旧うけて、
いまは、仙台の長男のマンションに身を寄せている。

17746. 2011年03月28日 14時01分10秒  投稿:ちば 
石巻もようやく水が引いてきた様です。
津波に備えて高い防潮堤を築くという対策は、三陸のリアス式海岸ではあるていど有効だが
仙台平野や石巻平野では現実的ではない。
特に、石巻は旧北上川沿いに市街地が広がり、
市街地と川の間に堤防がない(江戸時代のまま)。
仮に海岸部で津波を防いでも川側から回り込まれて水没してしまう。
この地震で地盤高が1m近く下がったことを踏まえれば
堤防の構築だけでなく地盤の嵩上げも必要なんだろう。

17744. 2011年03月27日 19時43分29秒  投稿:おおさと 
 [http://www.jiban.or.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=1057:52&catid=36:2008-09-14-21-08-08]
もうご存知かもしれませんが。

土木学会長・地盤工学会長・日本都市計画学会長 共同緊急声明↑

「東北関東大震災−希望に向けて英知の結集を−」


17743. 2011年03月27日 03時52分21秒  投稿:かわべ 
 [http://kei.kj.yamagata-u.ac.jp/kawabe/www/20110211tohoku_eq/]
仙台平野主部の微地形と津波の到達範囲を図化してみました.

17741. 2011年03月26日 13時22分45秒  投稿:おおさと 
 [http://www.rex-rental.jp/anz/surveymeter5000.html]
シンチレーション サーベイメーター↑

やっぱり売り切れ・・・

新宿の大型家電店で店員に質問している人がいたので確認してみたら。
一時は東急ハンズにもおいていたのにな〜。買う人いなかったけど。

17740. 2011年03月26日 00時01分27秒  投稿:やぎ 
 [http://www.nnsa.energy.gov/aboutus/ourprograms/emergencyoperationscounterterrorism/respondingtoemergencies/consequencemanageme-0]
アメリカが放射線測定に使用したAerial Measuring Systemの解説.
これを読む限りは,有人固定翼機と有人ヘリを使っているようです.



17739. 2011年03月25日 22時48分13秒  投稿:かわべ 
 [http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110319ddm012040016000c.html]
ちばさん>

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110319ddm012040016000c.html

無人機グローバルホーク

http://ja.wikipedia.org/wiki/RQ-4

17738. 2011年03月25日 16時52分55秒  投稿:Cauli.@那覇 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/volcano/gasindex.html]
2000年三宅島噴火のときのこの掲示板のガス関連発言抜粋↑。

あのときは臭いがあったから、「異臭関西から北陸まで広がる」なんて見出しをつけていますが、いまのは鼻で検知できないから厄介ですね。

17737. 2011年03月25日 05時18分23秒  投稿:ちば 
 [http://www.asahi.com/photonews/gallery/infographics/110324radiation_usarmy.html]
これは予測計算の結果ではなく、米軍による測定値

無人機かなあ

17736. 2011年03月24日 12時45分31秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20070824_Izumozaki/index.htm#SEC9]
中越沖地震の時、出雲崎沖の海底で出た古木の推定時代をC14法で調べたことがある。何となく、500から1000年おきに大災害。そんな片鱗かなと思っていたんだけれど、まさか我々がそれにぶち当たるとは。

桜島小学校の校庭にある碑を撮影した時は、ありゃあ島民は大変だったんだな・・・我々が建てる話をすることになるとは思わなかった。よく想像力は無限だと言われるが、自らの想像力の貧困さに悄然・・・としてもいられない。できることをしようとプランを立てているが、さてどうなるか。

17735. 2011年03月23日 23時37分29秒  投稿:KZ 
>17734 なべさん

ほんとうにそうですよね。「安全」という割には、実績がひどすぎる。要は、(東京一極集中という)インフラが限界に来ていますね。大災害にも耐えうるためにも分散化した方が良いことはあきらかです。世の中は、Netで繋がっているのだから、それをベースに国づくりをすれば良いのではないかと思います。官庁からまずちらばらせばいいんですよ。それくらいしないともう国が破たんする(している)のでは? 

17734. 2011年03月23日 22時50分25秒  投稿:なべ 
>17733.
Hal.Tさん

原発は10年に一度くらい重大事故が起っています。割に合わない。
廃棄物処理の問題は解決できないままだし。

津波被災地で「チリ地震津波の後も元通りになった、また元通りになる」て住民の声に愕然としました。50年ごとに壊滅をくり返すことを地域そして国全体がどう考えるのか。

あの辺は居住地などは高台に限定すべきだと思います。いい加減、懲りないと。

17733. 2011年03月23日 12時45分37秒  投稿:Hal.T 
ふと思ったのだが、原発の安全基準の考え方には被害想定に見合った、自然災害レベルの拡張と言う考え方ってのはあったのでしょうか?

河川にしろ、どんな防災対策でも1000年のオーダーで最高値を推定した対応しようってのは、聞かないですね。たいていは「100年」とか「明治以来」の最大雨量なり最大津波高さを、想定します。

この話題は、基準を1000年にしろと言うわけじゃないんです。10万年に一度の被害想定なら九州全滅、100万年に一度なら100mの津波、1億年に一度なら生物の90%全滅ぐらいのものがあります。

でも原発は(私は必要だと思うんですけれど)被害の甚大さと対策のバランスが取れていないような気がしてならない。もう一度書きますが、1000年に一度を見込めと言うわけじゃない、もっと合理的にメリット・デメリットを導くことはできないものかと思うんだ。今のままで行くと、あいつ(設備した者)が間抜けだったと言う事で終わってしまう。現実の原発のそれなりにあったはずの合理性の論理を、破たんしてしまったという事実を背景にして見直すことから次の合理性へ導くことができればなと思いましてね。そうでないと科学の意味が無い。科学ってそういう作業なんでしょ?

実は津波対策用の防波堤の構造や高さにつながった津波想定についても、その辺の考察があってしかるべきだと思います。

17732. 2011年03月23日 00時03分29秒  投稿:かまたひろき 
 [http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY201103220496.html]
 今日発売の「週刊東洋経済」に「東日本巨大地震の構造 今後どうなるのか」という記事を書きました(38-40ページ)↓
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/
 巨大地震の直後に焼岳と箱根山で地震活動が活発化し、15日に富士山南西でマグニチュード6.4の地震があったこととの関連も気になります↑

17731. 2011年03月22日 22時15分20秒  投稿:yawing 
>17721

ふじた様、こんばんは。
回答ありがとうございます。
なるほど、跳ね上がっての高さな訳ですね。
納得しました。

17730. 2011年03月22日 17時28分38秒  投稿:みき 
 [http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/22b/yochiren110322.html]
本日開催された第119回火山噴火予知連絡会の報道発表用資料が掲載されています。

17729. 2011年03月22日 09時46分44秒  投稿:矢澤 
 [http://www.madlabo.com/mad/gid/jishin/htm/20110311_touhoku.htm]
>それの媒体は何がいいのか、紙の文書なのか、
>いまのHDDは1000年後に読み出せないだろう。

 記したときと同じ媒体で読み出せる必要は無いです。時代の変遷に合せ利用しやすい媒体に引っ越し続けるのが現実的と思います。
 しかし、視野を少し広げて今回の100倍程度の規模の自然災害が起きたときのことを想定すると・・・さてどうしたものでしょうかね。
 人工衛星にでも情報を蓄積しておきましょうか。月でも良いですね。

17728. 2011年03月21日 22時24分38秒  投稿:Hal.T 
公式質問者の寝ぼけた発言より、国民の本音をあらわしている気もする。緊急事態の指揮を専門家に明確に委託していないのは、まさに異常な事態じゃないのだろうか。
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東日本大震災:放送中に不適切な音声 フジテレビが謝罪

 フジテレビは21日、東日本大震災が発生した翌日の特別報道番組の放送中に一部、不適切な音声の混信が生じたと発表し謝罪した。

 同局広報部などによると、12日午後8時32分ごろ、特番内の中継で菅直人首相の会見開始直前、中継映像とともに「笑えてくるよ」「くそだよ」など、首相官邸の発表で原発の情報が取れるはずがないという趣旨の男女の声が混ざった音声が数秒間放送された。音声機器のトラブルという。広報部は「音声は取材スタッフのものと思われる。このような事態が発生しないよう取材、放送を続けたい」とコメントした。

17727. 2011年03月21日 21時06分33秒  投稿:KZ 
>17726こやまさま
粛々と歪が解消してほしいところです。その間、防災、リスク分散など考えておきたいですね。今までの地震とは全く別次元という発想は必要だと思います。直下型地震へのリスクは特に注意しておきたいかなと。火山活動も必要ですね。江戸時代には富士山も噴火したのだし。巨大火山災害のインパクトは、地震以上に災害レベルが上昇するでしょうが。

17726. 2011年03月21日 20時13分15秒  投稿:こやま 
 [http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/EastJM9.html]
まだ不十分な点が多々あると思いますが、東日本沖の地震についてのコメントを書きました。

17725. 2011年03月21日 19時55分35秒  投稿:みき 
 [http://yanagihara.iza.ne.jp/blog/entry/2202283/]
牛山素行准教授とともに読み解く岩手・田老地区の防潮堤

17724. 2011年03月21日 19時05分07秒  投稿:ちば 
 [http://japan.person-finder.appspot.com/]
被災地の消息確認のためのサイトです


17723. 2011年03月21日 14時00分47秒  投稿:KZ 
地震や火山噴火は、数百年に一度破壊的な事象とその活動の余震や余波が続き、生活観やしいては
国のあり方にまで影響するのだと思います。日本もここ50年間は、比較的穏やかな状況でしたが
今後は、日本人生活観も変わるのかも知れないほどの余震活動が起きるのでは、とも思います。例えば、余震が頻発するのであれば、東京の一極集中はやめよう、とコンセンサスができるでしょうしそれにかかるインフラ(原発など)も分散化するのではないか、と。スマトラ沖では、2004年の大地震から6年間に周囲でM7x4回、M8x2回の余震がありましたし、チリでは1906年から43年までM8x5回の大型地震が起きています。今回の地震は1回だけでなく、ある程度の時間軸で見て
おいたほうがよいのでしょうか・・・。首都圏でこんなに余震があるとそういう感覚になりますよね。

17722. 2011年03月21日 11時00分57秒  投稿:かわべ 
 [http://paspro.com/bousai/kazan/_arukazan/bbs/?file_id=MV8wMDAyNTY%3D&name=%88%C9%94%5C%90%7D-GoogleMap_Difference.png]

あまり厳密ではないですが.
気仙沼の,伊能地図とgooglemapとの差分の図を作ってみました.
赤の部分が伊能地図からgooglemapで増えた陸地の部分です.

つまり,
1800年台初頭から2010年までの中に,
人間が海の領分に進出していった範囲,
ということになります.

17721. 2011年03月21日 10時39分43秒  投稿:ふじた 
 [http://www.youtube.com/watch?v=n4oxbUUr130]
>17714,17716

TAKUCHIBOさん,yawingさん こんにちは。
南相馬の津波ですが、フジテレビで放送された動画(↑URL)を見ると
静止画になっている白い波頭は、堤防にぶつかって砕けた波のように見えます。
動画で見ると相当の高さにまで跳ね上がっていますので、
実際の津波高は、もう少し低いのではないでしょうか。

17720. 2011年03月21日 08時01分22秒  投稿:ちば 
 [http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html]
HAL.Tさん>
 貞観津波が1000年に1回の発生頻度で、
インターバルが1000年だという仮定は
かなりあたっていた。
すぐにくるかもしれないから対策を急げという提言もあった。
 もう少し津波がくるのが遅ければ、
本格的な防災検討が間に合ったかもしれない。

 しかしながら、その仮定が妥当とすれば
発生したばかりなので、今後しばらくは同じ規模の大津波はこない
という計算も出てくる。今後の津波対策で、その点をどう評価するのか
 現代の技術では、ハード対策は困難だが(作っても1000年もたない)、
1000年後の子孫は何か有効な対策ができるかもしれない
 そうならば、1000年後の子孫にその日起こるであろうことを
「記録≒予言」として伝承することが一番いいのかもしれない
それの媒体は何がいいのか、紙の文書なのか、
いまのHDDは1000年後に読み出せないだろう。
 やはり、monolithのような稲井石の石碑を津波の到達限界に建て、
表面に文字を刻み込む。
そこに「大津波がここまできた。ここから先にはあまり住まない方がいい」
と記録すれば、1000年間持つのではないか
( そういう石碑を建てようとして行ってみると
そこにはすでに1000年前の祖先が建てた石碑がある
ことに気がついて愕然とする)ことにるかもしれない

17719. 2011年03月21日 06時31分33秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20110311touhoku/index.htm]
ここを見られている多くの方が、1995阪神大震災の記憶を持ち、2000三宅島噴火のころからでしょう。私は三宅島からですが、そのころから気になっている防災通信の技術を突っつきまわして今に至っています。

ちばさん≫ オオカミ少年覚悟で、叫ばなければいけなかったのだろうか。

と書いています。それは霊長類・人の特徴であって、生き残った者の負い目心理の基底でしょう。遠く離れていればさほどの傷にはなりませんが、身近な人と生き分かれるほどその心理が強力に出るようです。別の場面ですが、戦友の絆ほど強力なものは無いと言われています。共に過酷な戦場で生き戦友になれなかった者=同じ場所で死に分かれた者への負い目心理が集団性のサル=人の特徴なんです。(戦争の心理学 デーヴ・グロスマン ローレン・W・クリステンセン)

そうしなければいけなかったのかもしれませんが、破局的な噴火、極端な大津波、温暖化か寒冷化か、非常に時間スパンの長い話題のひとつでしかありません。そのひとつが今回実現したわけです。私とて山田町や室戸の防波堤を見て、その大きさに驚き、これで安全なのだろうなと思っていましたもの。

しかし、以前書いたと思うのですが、「私は住むならば海辺の漁師小屋に住みたい」とね。そのとおりやっていれば、確率50%で死んでいたでしょう。でも、生きると言う事はそういうもんだとも思うんです。安全ばっかりではない、危険と背中合わせに人生を楽しむわけですから、他の人に、それで死んでも本望。そう言われたら返す言葉が無いんですよ。タバコと同じだなあ。

風光明美な日本に住むのは、知っての通り変化する自然=危険といっしょに暮らす事なんですよね。過去を研究し知見を得た者はきっちりと情報を出す、それが科学の営みでしょうし、危険と安全の割合は彼ら自身に任せるしかないと思うんだ。最初に私の防災の関わりを書きましたが、やはり危険な自然への憧憬と言えばいいのでしょう。防波堤を作って海を遮断する道もあり、防波堤など取っ払って台風の旅に仮住まいが壊れ、津波で流れてしまう、そんな生活もありだと思う。それもこれも、バランスの問題だと思う。

だから、最初に書きましたように、私は自分にできる最高のことを2000年ごろからやろうとして、やっと最近は実証試験に取り掛かりつつあります(乾電池6本の送信機で三宅島から伊豆まで100kmの5分毎通信を半年続けています)。早く言えば、海辺に住む私がトンズラこけるように自前で設営できるセンサと通信手段を作ろうってことなんです。私の技術を社会に提供できるし、興味もあり大好きなことだからやっているのは、皆さん自然科学者とほとんど変わりありません。ひとつ違うのは皆さんが買えるようにしなければ意味が無いってことではありますけどね。

17718. 2011年03月21日 01時24分18秒  投稿:みき 
 [http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110321/dst11032100520003-n1.htm]
長野の地震は活断層か 名古屋大などが調査

長野県北部で3月12日に発生したM6.7の地震の震源断層は、
活断層「十日町断層帯」西端の宮野原断層である可能性を名古屋大などが指摘

17717. 2011年03月20日 23時36分49秒  投稿:ちば 
 [http://scienceportal.jp/HotTopics/opinion/180.html]
Hal.Tさん>
 だいぶ前になりますが、
日本第四紀学会2007年神戸大会で 貞観津波の発表がありました。
仙台平野や石巻平野で約1000年前に大津波があった。
その堆積物が確認できたという発表で、よく知っている地域だけに
ある種の恐怖感を感じました。
その成果を防災に生かすための手続きに時間がかかり、
ほんとうにもうちょっとというところで
地震が起こり津波がきてしまったという感じでしょうか。
(上のリンク:緊急寄稿『地層が訴えていた巨大津波の切迫性』宍倉正展

 今年の正月に帰ったときも、
「最近、1000年くらい前に、貞観津波という大きな津波があって
 この辺、広渕のあたりまできたことがあると言うことがわかって、
色々な先生が調べているんだよ」
「最近地震が多い。その津波がきたら、うちは大丈夫か?」
「まあ、微妙な位置と高さだと思うけど、
そういう、大津波は1000年に1回くらいの頻度だからね、
それほど心配しなくとも、・・海に近いところにいるときに地震にあったら、
津波がくるかもしれないから、高台とか高いビルの3階以上にに避難・・」
という話をしました。
 よくよく考えてみれば、約500-1000年に1回程度の頻度で、
最後に起こったのが約1000年前、(そんなに単純ではないのだろうが)
我々はもっと、真摯に慌て、鐘を叩いて、
オオカミ少年覚悟で、叫ばなければいけなかったのだろうか。

「杞憂災害」

17716. 2011年03月20日 22時14分06秒  投稿:yawing 
 [http://sanggar.exblog.jp/12263926/]
こちらでは、フジテレビの番組からのキャプチャがあります。

http://sanggar.exblog.jp/12263926/

ビデオカメラで望遠側に最大ズームしているでしょうから、圧縮効果で遠近感に狂いがあるかと思いますが、この画像を合わせて考えると、南相馬市のHPの白い波頭に見える部分が、やっぱり津波の最大高として考えていいんでしょうか?

17715. 2011年03月20日 22時03分26秒  投稿:Hal.T 
 [http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html]
東北大学の箕浦幸治さんの貞観津波の記載です。知られていなかったわけじゃないけれど、1000年に1度ぐらい来るという警告がどれだけ意味を持てるのだろう?、いえこの推測そのものではなく、この事実によって住民や行政に何かしらの行動を取らせることができるだろうかと言う意味と、もうひとつは災害予測について降雨量や洪水については100年に1度の最大期待値でほんとうにいいのだろうか、またそれで良くなくても、実際にコストが掛けられるのか? とかね。

地震予知の先駆者 今村明恒の生涯」P219 には、昭和の大津波の後、「綾里村(現三陸町)にて高所への住居移転を提唱して少なくともしばらくは高台への居住が推進されたようですが、それも忘れ去られたようです。

引用:
「今村地震博士の強力なアドバイスによって三陸沿岸一帯の集落をあげての集団的高所移転が始まった。多くは湾奥の背後をなす山や段々畑をL字型に切り抜いて街並を造成した。村には珍しい水道というものもできた。高所移転には長期無利子の住宅建築資金が貸与され、元の屋敷に家を再建する者には、その恩典が与えられないという、当局のいささか強引な行政指導」もあって、岩手県だけでも約三千戸が高所移転に成功した。今村は『地震」に連載した「地震漫談」の中で、その成功を喜び、絶賛している。もっとも、この大事業には住民の根強い抵抗もあって、高所移転反対のデモが起こる地域もあった。
「さなきだに平地に住ゑたがる日本人かな」
と今村が嘆いたこともある。

17714. 2011年03月20日 21時32分23秒  投稿:TAKUCHIBO 
 [http://www.city.minamisoma.lg.jp/sinsai/03-11.jsp]
いつも閲覧させていただいています。

南相馬市のホームページ(上記URL)に押し寄せてくる津波の写真がありました。
白い波頭が津波なら,高さはどれくらいになるのでしょうか?

17713. 2011年03月20日 16時48分38秒  投稿:TAKO 
 [http://saigai.jmc.or.jp/h23taiheiyo-ok/photo/kokudo6/thumb/C01/C01_0006.jpg]
>17712
新北上川河口の、「海」になったところに行ったことがありますが、地震の前は砂丘でした。
ここにかぎらず、仙台湾沿岸など、海岸の砂丘を乗り越えた津波は、砂丘の後背低地を海にしました。
地震による地盤低下(75センチと報道されています)なのでしょう。排水できるのでしょうか。
長い年月の間に、周囲の河川からの流入土砂などが潮流で運ばれてできていた砂嘴、砂丘がみんな破壊されてしまったという印象をもちます。

七ヶ浜町の阿川沼(まさに砂丘の後背湿地の沼 http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=MapionBB&scl=500000&el=140/52/36.955&nl=38/15/55.285)の周りの田んぼが、「海」になっているのを、実際に丘の上から見て呆然としました。引用させていただいた空中写真は、その場所です。
陰になっていて見づらいのですが、真ん中当たりに小学校が見えます。その下(南側)は田んぼでした。それが「海」に戻ったようです。たぶん、葦原だったところを干拓して水田にしたところなのでしょう。そのような場所はみんな海に・・・・・。
中央左にある大きな建物(ヤマザワ)の右下には、もともと海跡湖であったと思われる阿川沼がありましたが、もはや水田と沼の区別はつきません。

17712. 2011年03月20日 12時07分15秒  投稿:ちば 
 [http://cyberjapandata.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/sanrikukaigan/thumb/C24/12087.jpg]
石巻市の北上町、新北上川(追波川)河口付近の地形変化 が激しい
地理院の垂直写真で見ると 堤防が決壊とか言うレベルではない。
陸が海になっている。


17711. 2011年03月19日 22時38分37秒  投稿:大澤 
大澤@横浜青葉です。
千葉さんすごい!
九死に一生とはまさにこのことですね。ラッキーという言葉ではとても表せない
奇跡に近い話です。
いろいろな思いが錯綜して、素直に喜べる状況でないことは百も承知ですが、生
き延びることの重さ、大切さを改めて思い知った気がします。
でも、よかった・・

17710. 2011年03月19日 22時06分44秒  投稿:ちば 
 [http://goo.gl/maps/JeD4]
TAKOさん>
 ぎりぎりで浸水をまぬがれることができたのは幸運でしたね。

 きのう、地震後はじめて母と携帯電話で話をしました。
先日の安否情報は何かの誤報で、本当はかなりきわどかったようです。
津波で壊滅的な被害を受けた、石巻市の南浜町の近くにある
石巻市立病院で被災し、そのまま3日間そこにいたのだそうです。
 曰く「その日の午前中に、知り合いのお見舞いで病院にいった。
しかし、そのひとは、入れ違いで既に退院していた。
そこで、いったんは歩いて帰ろうと病院を出たが、バスもないので
思い直して、一緒に行った人と病院の5階でコーヒーを飲んでいた。
そこで、大地震にあった。あわてて、帰ろうとして、1階に降りて行ったら、
病院のスタッフから、「大津波警報が出ていますので出すわけにはいきませまん。
上層階に避難してください」と言われ、また5階にもどった。
ほどなく、大津波がきた。危うく、津波に巻き込まれるところだった」
「じゃあ、それをずっと見ていたの?」
「そう、5階の展望室から、津波の一部始終をつぶさに見た。
家が壊れ流され、濁流の上ではガスボンベがねずみ花火のようにクルクル回り、
たくさんの家が打ち寄せられた門脇小学校付近では火災が発生した。
県道沿いの、ガソリンスタンドの火は、いつまでも高く燃え上がっていた。」
「津波が襲来した時、石巻市立病院には500名程の人がいた。入院患者、病院のスタッフ、
見舞客、その他で 近所からの
避難者はあまりいなかったようだ。津波で、地下の霊安室にいた方がなくなったと聞いた。
水が引くまでの3日間そこにいた。水と食料は乏しかった。コップの底に1cmとか。
病院だったので布団があり夜は、あまり寒くはなかった。懐中電灯の明かりを天井にあてて
いたので、間接照明でぼんやりと明るかった。2日目は水が引かず、誰も出る事ができなかった。
3日目に急に水が引いた。「オウンリスクで病院を出てもいい」ということになり、
やくひんメーカー営業の人やクーラーの工事で来ていた人たちが先導する、戸板などで作った
ヘドロの上の仮設の道を一列になってたどって、乾いている場所に到達、
西光寺の脇の急な階段から日和山に登った(60mくらい)。
日和山の上は、壊れている建物もなく、いつもと同じ感じだった。
途中、石巻高校の避難所に少し寄って、水道坂、大街道、清水橋とたどり
徒歩で自宅まで戻った。3時間半くらいかかった。
途中、何箇所か足首が水につかるほど冠水しているところがあったが
どっちが通れるかを近所の人に聞きながらクリアした。
 蛇田の家の被害は予想外に軽微だった。2階のタンスが飛んだが、
1階は食器もOK、仏具が倒れたくらい。開け閉めも問題ない。」
という話を10分くらいで一気にしてくれました。
 九死に一生というのは、まさにこういうことなのかと思いました。

「もしも、あのときコーヒーを飲まずに歩いて帰っていたら、
もしも、地震の後、病院の出口で止めてくれる人がいなかったら
絶対に津波に巻き込まれていた。
 いまは、あまり恐怖心がわいてこない。
起こったことが、あまりにも非現実的だったために、
実感がわいていないのかもしれない。
たくさんの友人や知り合いが亡くなったのは悲しいはずだが
むしろ、悲しむよりももっと強く生きなければと思う。
自分が強くなったような気がする。」

17709. 2011年03月19日 16時45分03秒  投稿:TAKO 
 [http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/h23kirishima-index.html]
宮城県塩竈市本町在住です。
やっと昨日ネットが回復しました。

我が家の玄関先まで津波が来ましたが、家に浸水せず、まさにギリギリ。
地震の揺れが治まると同時に高台に逃げました。家族も無事でした。
今は燃料の不足、物資の不足に苦しんでいますが、これはどこも同じでしょう。

駐車場は泥の海。やっと少し泥をどけつつあります。
塩竈では、明治以来海面を埋め立てたところが浸水したような感じです。
松島湾の入り口が狭く、湾内が広いことに助けられたのでしょうか。
チリ地震津波の時と似たような被害状況のようです。

多賀城、仙台市などの海岸部、海岸線が直線的なところでも、内陸まで波が入り、驚いています。
多くの方が無くなり、家をなくしました。ああ。本当にかわいそうでなりません。
地震の揺れ似よる家屋倒壊などは比較的少なく、それには助けられました。
とりあえず、千葉さんの故郷近くからの近況でした。

17708. 2011年03月19日 14時35分48秒  投稿:JiroK 
 [http://hmatsuba.air-nifty.com/fukushima1F20110319.pdf]

福島第一原発の放射線のモニタリングデータがグラフ化されてわかりやすい.

環境エネルギー政策研究所による発行.
http://www.isep.or.jp/

昨日のバージョンから更新されてます.

心配で居てもたってもいられないです.
ブータンからはキーホールTVで日本のラジオ経由で情報収集してます.
http://www.v2p.jp/video/

17707. 2011年03月19日 14時01分00秒  投稿:みき 
 [http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110319k0000e030023000c.html]
福島第1原発:日本への渡航制限「必要なし」 WHO

17706. 2011年03月18日 22時30分10秒  投稿:Hal.T 
 [http://paspro.com/bousai/kazan/_arukazan/bbs/]
17697 岩崎さん>福島原発にある放射線物質の影響は東京では少ないかもしれない。
>↑
>科学者があえて言うような話?
>東京に飛んで来た放射線物質の影響は東京の人にとって深刻。

この文言だけで判断するしかできませんから、そうします。
これは科学者責任の話でしょうね。私なら、そう判断できるならそう言います。何かおかしいですかしら。災害だろうがなんだろうが統一的意見を持つべきだってならば科学じゃないですよ。ただし、私は放射線の影響が多いとも少ないとも言えませんがね。

17705. 2011年03月18日 18時06分52秒  投稿:Hal.T 
 [http://paspro.com/bousai/kazan/_arukazan/bbs/]
URLはこの掲示板の上部に「画像投稿用」と書かれてある掲示板です。サーバなど運営稼働上の通告はそちらに書きます。ここが見えない時などに参照していただければ、どのような状態にあるかわかるので、メモやお気に入りに登録しておけばいいでしょう。

17704. 2011年03月18日 14時01分24秒  投稿:みき 
 [http://www.ajiko.co.jp/bousai/touhoku2011/touhoku.htm]
アジア航測の平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震HPに以下が追加・更新されました。
2011/03/18 更新(陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)による被害状況把握)
2011/03/18 更新(未整理斜め写真 3/13宮城方面・松島〜仙台空港、3/14南三陸〜気仙沼〜陸前高田〜大船渡)

17703. 2011年03月18日 11時03分21秒  投稿:みき 
 [http://www.jishin.go.jp/main/chousa/11mar_shizuoka/index.htm]
2011年3月15日静岡県東部の地震の評価
(平成23年3月16日 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 発表)

17702. 2011年03月18日 10時58分54秒  投稿:ヨッシー 
 [http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter.htm]
ABC newsでも比較できます。

17700. 2011年03月18日 10時54分10秒  投稿:ちば 
 [http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/13/world/asia/satellite-photos-japan-before-and-after-tsunami.html?hp]
www.nytimes.com このページで津波被害の前後比較ができます

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