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ある火山学者のひとりごと 18100-18199


18199. 2012年06月10日 00時22分54秒  投稿:かわべ 
>ちばさん,さとぐちさん

あの斜めに横切る溝は,切り割りだと思いますよ.
後円は,前方の伸びの方向に直交方向の緩い
高まり(沖積段丘?)の上に造られているようですが,
その高まりには北東−南西方向の段差等は見られない
ので延長しませんね.

あと,池の窪みは...

前方後円墳の盛り土はどこから持ってきたのか.

俯瞰図を見ると,盛り土を取った窪みが池になったよ
うな気がします.

切り割りは,後世の人が,古墳の南西と北東の集落を繋ぐ道として.
邪魔な池と”山”を迂回せずに突っ切って行くために造った
切り割りじゃないかなと.

直感的には赤色立体図がいいですが,厳密に見るときに
は,等高線があった方がいいですね.<周囲の微地形とか

18198. 2012年06月09日 07時11分35秒  投稿:ちば 
 [http://nagisa-minami.at.webry.info/200906/article_2.html]
少し古いですが
箸墓の等高線図が紹介されているブログ「なぎさ」がありました

箸墓古墳の謎 卑弥呼の墓ってホント?
作成日時 : 2009/06/07 04:37

18196. 2012年06月09日 00時15分46秒  投稿:おおさと 
 [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3]
やっぱり茶店に続く道です。wikiの「その他」参照


18195. 2012年06月08日 19時33分02秒  投稿:ちば 
いろいろな方から 断層じゃないの? と聞かれるのですが
わたしは道路ではないかと おもいます
奈良盆地東縁には活断層もありますが 活動度は低いです

18194. 2012年06月08日 01時13分27秒  投稿:むろはし 
 [http://www.kashikoken.jp/from-site/2012/hashihaka_rittaichizu.pdf]
橿原考古学研究所のプレスリリースには、箸墓に加え、西殿塚古墳も含め
8枚の図が出ていますね。

18193. 2012年06月07日 10時44分52秒  投稿:さとぐち 
>ちばさん,かわべさん

知り合いの考古学の方が,
最近の古墳の調査は手動の測量よりもっと高い精度で
できるようになったので最近はあまりやらない,
という話をしていた事を思い出します.
たしかに,これはすばらしく綺麗ですね.

前方の切れ込みは断層跡だと思いましたが,違うのでしょうか?
奈良県南部の活断層を見てみると殆どは南北方向ですが,
一部この方向にあうようなものがあるように思えます.

18192. 2012年06月07日 08時55分33秒  投稿:ちば 
かわべさん>
右上の崖は崩れだと思いますが、
袈裟懸けの亀裂のような溝は
道路のように見えます。
溜池の工事の都合かも

まあ、よく残っていたものですね

18191. 2012年06月06日 22時35分06秒  投稿:かわべ 
>ちばさん
今朝の朝日新聞で見ました.
後円を作ってその後前方を作ったのでしょうかね.せいので一緒に作った感じじゃあまりないですね.

それと,後円のくずれは崩壊でしょうか.
前方の切れ込みは,”山”をショートカットした切り割りでしょうか.

いろいろ想像をかき立てられる計測結果ですね.

18190. 2012年06月06日 09時11分11秒  投稿:ちば 
 [http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120605-OYT1T01087.htm]
箸墓の古墳をレーザー計測

18188. 2012年05月27日 01時36分29秒  投稿:おおさと 
 [http://tenki.jp/past/detail/pref-16.html?year=2012&month=5&day=18&selected_image=rader]


5月18日のレーダー雨量画像

18187. 2012年05月26日 06時53分06秒  投稿:ちば 
 [http://twinavi.jp/article/picture/2172299367]
2012/5/18の調布の雹の写真がありました


これは寒そう

18186. 2012年05月26日 06時49分59秒  投稿:ちば 
 [http://togetter.com/li/305548]
とぎゃったーに調布の雹のまとめがありました

分布図作れないのかなー

18184. 2012年05月18日 12時46分21秒  投稿:おおさと 
調布で今降った雹




18183. 2012年05月17日 23時05分50秒  投稿:ちば 
 [http://paspro.com/bousai/kazan/_arukazan/bbs/?file_id=MV8wMDAzNjU%3D&name=011025_1-24.png]
富士宮口九合目付近


この新しい溶岩流はいつなのかよくわからない


18182. 2012年05月11日 20時31分18秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad3d/3dData/20060322_leyte/200603_Leyte-1.htm]
雄山のカルデラは1.5〜2km弱ですね。長距離型を使いゆっくり測定すれば測れる距離ではあります。測れるかどうかは肉眼で見えるかどうかでわかります。山なら双眼鏡を使って枝がまずまず見えればOK。

断面線を作るぐらいならわけないでしょうけれど、面的に測るのならかなりの時間を要しますよ。

18181. 2012年05月10日 21時53分38秒  投稿:ちば 
Hal.Tさん>
 わたしも、日本一低い山 御山 の取材で 
香川に行ったときに、地上レーザーの測定に参加しました。
せいぜい数10mくらいだったので
非常に短時間で終わり、あっけない感じでした。
まあ、テレビ撮影用ということもあったのですが

まだ、ガスが多いので無理だと思いますが
原理的には
三宅島のカルデラの対岸を測れまあすかねえ
距離は2km弱かなあ、
上空からでは垂直に近い500mの壁は測定困難
だと思うんですよね

18180. 2012年05月07日 22時54分40秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad3d/]
地上型の3D観測器を手掛けていた当社の担当者が早死にしてしまったので、機械が空いている。もったいないので、大学の山岳部みたいな形で運用できないかと思っている。防災クラブ?

これの運用は、言ってみればダゲレオ式の写真機のようなもので、簡単ではない。しかし簡単ではないからこそ面白く、2km範囲を10cmぐらいの精度で測定して3次元モデルを作れる。測量、機械、ソフトも数学や幾何学など非常に広い分野にまたがるものだ。飛行機からするレーザとは違って、同じ場所を何度でも測ることによって100回も測れば√100=10分の1の精度になる。谷のこちらから向こう側まで1km範囲なら1cmで測れるってわけだ。

事業としてするのは無理だと言うことがわかってきたので、保険料のみで貸し出したりすることもできるだろうから、なにかうまい方法を考えてみたいと思うが、何か良い方法がないだろうか。

18179. 2012年05月06日 10時59分34秒  投稿:ちば 
 [http://www.geocities.jp/shonanwalk2010/K-mukashibanashi-15.html]
堀越さん>
 ダイラボッチの歩いた方向はわからないですが
歩幅くらいはわかりそうです(笑)

足跡の窪地には宙水があり
ボーリングすると粘土化の進行したTP-flowがあるんだそうです
粘土化→宙水の形成→粘土化の進行という感じで
宙水のある範囲が拡大してやがて丸くなり、
粘土化の進行→風成層の層厚減少→窪地の形成
相模原市博物館の設立準備委員会報告に町田先生が書いていました

18178. 2012年05月05日 20時48分32秒  投稿:堀越 
18176>ちばさん
我が家がダイラボッチの中だなんて知らなかったです。
これってダイラボッチさんの足跡なんですかー。

18176. 2012年05月02日 10時42分26秒  投稿:ちば 
基盤地図5mDEMによる 相模原台地の地形表現の試み
これは、座間市付近にみられる、ダイラボッチと呼ばれる窪地と
砂丘状の地形


北海道の道東にもあるようです

18175. 2012年04月30日 01時52分21秒  投稿:ちば 
きのう、日大文理学部で行われた
「宮地直道教授を偲ぶ会」には、先生方や研究仲間・同僚・教え子など、
多数の方がお見えになり、友人として、とてもありがたかったです。
どうもありがとうございました。
これまで知らなかったエピソードも聞けてよかったです。

 実は、これまで、いろいろな場面で宮地さんと議論しましたが、
いつも意見がすこし違っていました。
宮地さんは、まず、穴を掘って観察し、その柱状図をみてさらに考えるわけです。
わたしは、形とか色とかそっちから考えるので
なんでそういう風に考えるんだろうとか思ったものです。

 ところが、このごろ、宮地さんだったら、何と言うかなあ、
きっとこう言うだろうなあとか、と考えることがあります。
いなくなってしまってからのほうが、
彼の立場になって考えてみるためか、
どうしてそう言ったのか、
かれの考え方が 前よりもわかるようになったような気がします。

不思議なものです。

18174. 2012年04月29日 13時31分29秒  投稿:ちば 
 [http://www.agu.org/pubs/crossref/2012/2011JB008355.shtml]
これですね

Okada, S., and Y. Ikeda
Quantifying crustal extension and shortening in the back-arc region of Northeast Japan

JOURNAL OF GEOPHYSICAL RESEARCH, VOL. 117, B01404, 28 PP., 2012
doi:10.1029/2011JB008355

28 pages, 21 figures, 1 table


18173. 2012年04月28日 11時54分21秒  投稿:くつなし 
先頃JGRに発表されたOKADA&IKEDA(2012)は長大な論文です。

ですが、新潟の測線(C)の議論が物足りなく感じます。
測線周辺の従来の研究のレビューや引用がありません。
勘違いかもしれません。
長野の測線では引用の引用まで辿れば同様の結論を導いた文献につきあたりますから、そういうことなのかもしれません。
でも、読者にとっては不便極まりないです。

JGRはそういう雑誌なのでしょうか。

以上、火山とは関係ないですが、「防災的」見地から一般人が投稿しました。

18172. 2012年04月23日 10時03分21秒  投稿:ちば 
 [http://www.geo.chs.nihon-u.ac.jp/html/news.html#N14]
今週の土曜日に、日大で「宮地直道教授を偲ぶ会 −宮地さんと富士山研究−」という、催しがあります。
日時 4月28日(土)午後2時〜4時 
場所 文理学部3号館3408教室 世田谷区桜上水3-25-40 
   京王線下高井戸下車徒歩10分
参加を希望される方は直接会場まで

pptを使って、いろいろ話す感じです

18171. 2012年04月17日 19時56分28秒  投稿:ちば 
 [http://www.nhk.or.jp/zero/schedule/index.html]
かわべさん>
 きょうNHKから電話がありました

CGは時間の関係で、10mくらいにまるめて
絵だけ、1mにしたのだそうです

18170. 2012年04月13日 02時09分29秒  投稿:ちば 
 [http://wms.lroc.asu.edu/lroc/global_product/100_mpp_DEM/tile/tile2]
月のDEMがダウンロードできるようです

18169. 2012年04月11日 19時01分03秒  投稿:みき 
 [http://www.jma.go.jp/jp/quake/20120411180055394-111739.html]
地震情報(震源・震度に関する情報)
平成24年4月11日18時0分 気象庁発表
きょう11日17時39分ころ地震がありました。
震源地は、インドネシア付近(北緯2.0度、東経92.5度)で、
地震の規模(マグニチュード)は8.7と推定されます。
インド洋の広域に津波発生の可能性があります。
この地震による日本への津波の影響はありません。
震源は太平洋津波警報センター(PTWC)による。
詳しい震源の位置はインドネシア、スマトラ北部西方沖です。
気象庁では11日17時55分にインド洋津波監視情報を発表しています。
情報第1号

18168. 2012年04月11日 02時52分47秒  投稿:ちば 
かわべさん>

 レーザー計測のDEMと等高線しかなかったとき
は 判読は苦しかったです まるまる1日かけて
どうしても凹凸が判断できない 閉じた等高線が
虫食い状に残って それも 無数に
困惑しました

それで 急遽作成したのが 赤色立体地図 だったので
NHKの 赤色立体地図の 取り上げ方は 正しい言い方ではないけど
全くの 間違いというわけでもない

そんな くすぐったい かんじでした




 もちろん NHKに渡した DEMデータは 最も細かい1mメッシュのものを
渡したんですよ これでお願いします 間引かないでくださいねと・・
 こんどこそ できますとか言って たけど
前も 山梨の富士山のときにも データが巨大きすぎて 
できなかったから そんなに 状況は変わっていなかったので 
たぶん 間引くと 予想していた ので 

スタジオに 仮想赤色立体地図をドン
というバーチャルは すごかったです

さすがに これは 事前作成はできないので 
NHKのCGのすごいところです


放送1週間前くらいになって まだCGの計算が
終わら〜ん と言ってたから 
まあ、モデルを 間引かざるを得なかったんだろうと思う

だいぶ 赤色立体地図の見え方が 気に入ったみたいで
ずいぶん 長く使われたのは うれしかったです

広範囲の詳細なDEMの3DCGは アメリカの映画とかでは
どんどんやっているんですけどねえ
時間がかかってるのかなぁ

18167. 2012年04月11日 00時02分53秒  投稿:かわべ 
現在,ビデオを視聴中...

割れ目噴火の火口など微地形がわかる赤色立体図の説明,ありゃ,航空レーザー測量によるDEMデータのことですよね...

NHKの富士山全体のデータは,50mメッシュあるいはその間引きデータからの赤色立体図の雰囲気ですね.

18166. 2012年04月09日 12時11分17秒  投稿:ちば 
オープニングの一瞬でたものが アジア作成
あとは全部 NHK なんかビニールに張り付けたような甘いモデルだった

18165. 2012年04月09日 10時38分35秒  投稿:もくせい 
昨晩のサイエンスZERO、私も拝見しました。

番組後半を中心に出ていた赤色立体地図ですが、違いは判りませんでした。
ブルーレイで録画したので、再度見てみたいと思います。

18164. 2012年04月06日 21時14分40秒  投稿:ちば 
 [http://www.nhk.or.jp/zero/schedule/index.html]

NHK教育番組「サイエンスZERO」で、富士山の噴火 が取り上げられます

富士山の赤色立体地図も大々的に取り上げられるということです

3D CGは アジア航測の作成したものと 

NHKのCG担当が作成したものがあるそうです 違いが判るでしょうか

4月8日(日)午後11:30〜午後12:00です


■番組タイトル
 サイエンスZERO 富士山 噴火の可能性は? 〜巨大活火山の本当の姿〜

■放送予定日
 本放送:4月 8日(日)午後11:30〜午後12:00
 再放送:4月14日(土)午後 0:30〜午後 1:00

■放送概要
 東日本大震災の後、富士山周辺で地震が大幅に増えています。これは噴火の兆候なのか?激しい
噴火を繰り返してきた巨大活火山・富士山の最新研究からその真の姿に迫ります。

18163. 2012年04月04日 23時29分38秒  投稿:ちば 
 [http://arukazan.jp/quatrtnary_outcrop.htm]
田沢湖の水位がずいぶん下がったことがありました

18162. 2012年04月03日 11時53分07秒  投稿:おおさと 
 [http://research.kahaku.go.jp/rikou/namazu/index.html]
ご存じの方も多いかと思いますが

国立科学博物館資料室のアドレス↑

各地の地震(大正関東、濃尾地震、明治東京、陸羽、庄内、北丹後、明治芸予、熊本地震の各写真、明治有珠、明治磐梯、明治鳥島、大正桜島各噴火写真

18161. 2012年04月03日 01時24分18秒  投稿:ちば 

鎌倉市の鳥瞰図の場合

18160. 2012年04月03日 01時21分09秒  投稿:ちば 
国土地理院から3月28日から公開が始まった5mDEM(A)をダウンロードして
鎌倉付近の赤色立体地図を試作中(内挿補間で2mメッシュ)



鎌倉は沖積段丘が広がっていること。にもかかわらず海の近くには沖積面があること。
沖積面を刻む谷の形に見覚えがある。
こういう地形は今回の津波で石巻旧北上川の河口付近で見られた
津波の引き波による浸食地形とよく似ている。

18157. 2012年03月24日 07時19分25秒  投稿:ちば 
 [http://blog.livedoor.jp/ohta_geo/archives/51668416.html]
これは、津波のせいじゃないよなあ

鈴木雅一;”東北地方太平洋沖地震で福島第一原子力発電所の送電線鉄塔倒壊をもたらした盛土斜面崩壊について”,砂防学会誌Vol.64,No.5,p38-42,2012

18156. 2012年03月19日 12時53分07秒  投稿:おおさと 
 [http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn016/hitobasi/hitobas1.html]
 上越市板倉区や清里区、安塚区付近は古くから地すべりが多い地域として知られています。
 地すべりのために水道管が絶えず動いていた時期もあるということも聞いています。
 地すべりを止めるための集水井があちこちでみられます。

 今回、地すべりが発生した板倉区国川の南3km程度の猿供養寺という場所がありますが、800年前に地すべりを止めるため、人身御供(即身仏)となったといわれる僧の供養堂(人柱供養堂)があり、仏として祀られています。またこのお堂の場所には地すべり資料館も併設されています。



 今、地すべりで注目されている板倉区ですが、この地域はなだらかな斜面に作られた段々畑が美しく、また秋の紅葉も非常にきれいな地域です。

 ひとたび動くと怖い地すべりですが、その地域の風景や風土・歴史をはぐくんだ自然であり、どのように共存してゆくか大きな課題なのだということを東日本大震災の被害とあわせ改めて考えさせられる災害です。
 

18155. 2012年03月19日 10時12分23秒  投稿:ちば 
堤防のようなものを築いて、食い止めようとしている。盛り土構造かなあ。

18154. 2012年03月18日 13時49分10秒  投稿:堀越 
18151>
左右合わせて見事な地滑り地形。滑ったの削って平らにするよりそのままの形で固めた方が、危険だぞって判るんだけどなー。100年単位で見ればの話だけど。

18153. 2012年03月17日 21時29分42秒  投稿:Hal.T 
18151>
表面の雪がパッチ状に割れている。そのパッチの大きさと距離を測って行けば全体的な表面の伸びが計算できそうだね。

18152. 2012年03月17日 13時49分32秒  投稿:Hal.T 
堀越さん久しぶりですね。アマチュア無線の免許と言えば、2年ほど前に「そろそろ俺も年貢の納め時だな、どんづまりの免許を取るか」、って感じで1級ライセンスを取りました。別にこれで1kWの送信機を動かすつもりは無くって、今のところ実験で最大の送信出力は70mWぐらいですけどね。

業務用の無線機の実験を正式にするのは大変ですけど、もともとアマチュア無線から始まった私ですから、実験をするのには便利ですし完全な合法性も保てるのでハムの免許は役に立っています。日本ではお遊びと思われているハムも諸外国では緊急用や社会に役立つ市民間の通信として免許条項があるようです。

アメリカ合衆国でハムが始まったのはおそらく家の間の距離が大きいのでそのためでしょうね。
Recognition and enhancement of the value of the amateur service to the public as a voluntary noncommercial communication service, particularly with respect to providing emergency communications.

こんなことも書かれています。緊急通信と非営利の公共サービスをやるのよって。

18151. 2012年03月17日 13時43分58秒  投稿:ちば 
 [http://www.ajiko.co.jp/bousai/joetsu2012/]

アジア航測のページで 新潟上越市の融雪地すべりの写真が公開されています

18150. 2012年03月17日 13時42分56秒  投稿:ちば 
イリジウムという携帯を使えば大丈夫ではないのかなあ

18149. 2012年03月17日 00時40分24秒  投稿:堀越 
18147 >Hal.Tさん
>現状の公衆通信網を補強するだけで使おうとしている防災関係者

私の住む座間もお寒い状態です。311の反省で市民向けの情報伝達をどうするかで進んでる先は、防災行政無線のデジタル化&子局増設、さらに固定&携帯電話から聞ける録音メッセージ、学校から保護者への連絡は保護者指定先へのメール発信と保護者からのは電話連絡、と言う状況です。

それらの根拠は、311の時に関東地方では通話は無理でもメールは使えた、電気は通じていた、だからなんだと。足下が大揺れした時の事は全く考えてません。少し前から市議会議員と共同戦線を張っているので、弱いながらもひたすらプッシュプッシュを続けるつもりです。

私は自宅も会社もNTT電話だけは、NTTがなんと言おうとメタルを維持してます。自分の所が停電しても電話線が切れない限り電話局の非常用発電機が動く限り、電話が生きているのを知っているからです。自宅用パソコンはノートに変えたので次はUPSの確保です。アナログモデムも残しています。残るは、Hal.Tさんも言われている小電力低速長時間稼働のできる電源と通信手段でしょうか。とりあえずは予算と相談しながらどうするか決めようかと思っています。この年でもハム免許挑戦も有りかなと・・・。


18148. 2012年03月16日 05時16分36秒  投稿:ちば 
寝入りばなの地震で起こされてしまって・・・
千葉沖できのう地震があったばかりなのに
きょうは埼玉の深いところで正断層型とか
うーむ、やはり地震が増えてきてると言わざるを得ない。
昨年の地震の余震だったらだんだん減るだろうに

18147. 2012年03月16日 03時23分03秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/ss/Examin/2010InJapan/_Pendindex.htm#SEC13]
18143 ちばさん>
>そういうことでは いけないということがよくわかる 
>その意味で貴重な資料ではないかという意味です

まっこと、そのとおり。みんなに以下のようなことを言うと、こいつは軍事オタクと白い目で見られるので、あまり言わないんですが、ここには書いてみましょう。およそ4000年前から社会は防衛と防災に農業開発が基本でした。四川の成都近傍にある都江堰は2000年前の構築で今も防災と農業に役だっています。防衛も同じように連綿と続いていますけどね。

防衛も防災も、観測→通信→分析→判断→対応といった手順です。軍隊はすべてを自前で持たなくてはそこが弱い環となって機能を失います。もともとインターネットの基本構想が核戦争に備えて作られた有線型のアドホックネットと言ってもいいですしね。

ところが日本の防災にこれを当てはめてみると、通信はすべてと言っていいほど公衆通信頼みで、東電のことを笑えず、もっとひどい・・と言うよりも防災通信のことを真面目に考えているものは皆無だと言えます。

阪神大震災のころに無線LANなどでつなげばとの発想から、携帯や近距離LANで観測を維持することがはやりました。阪神大震災は小さな領域の大きな災害でした。これだったらOKです、5-10kmをカバーする携帯電話網でカバーできます。中越地震になるとギリギリの距離でしたが、それでも基地局を持ちこんで何とかカバーできました。もっとも事後対応だけでしたけどね。

2011/03/11の大規模災害では地震と津波のダブルパンチでしたが、日本の大規模災害はダブルパンチが多いのも特徴です。台風+高潮とか、地震と津波、火山噴火と泥流や交通や電力の障害。大きめの火山噴火が起きたら高圧線の障害が起きて送電も止まり、すべてのインフラが途絶します。

めったに起こらないが、必ず起こる大規模災害のときに必要な通信とはどのようなものか? と考えたあげく、やはり内蔵電池だけで1年以上動作するもの。距離はダブルパンチの領域を越える距離が必要で、最低でも10kmオーダ。これが今やっている低速長距離通信なんだ。(もちろん自己表明と宣伝)。実験的には三宅島から伊豆半島(93km)や富士山(150km)までの実験評価からは、東北の釜石から遠野の境にある仙人峠までの16kmぐらいなら軽く通信できます。

以前、私の防災関係の師匠とも言うべき、群馬大学の教授、小葉竹さんと話をしている時に、私がふと質問。「小葉竹さん、この教室でやっている方向性ってどう思うの?」。彼いわく、工学特に防災工学は役に立たなくちゃちっとも価値が無いと言いました。この小葉竹先生が主になって群馬大学の工学部で社環と言われるグループを構成し片田先生たちと研究と実践をすすめてきたわけです。

みなさんに質問したのは、まずは最初の被害者を減らすこと。そのために、たとえば津波観測→警報を実測を元に出したい。釜石で言えばXX半島の先端で8mと実測警報、埠頭には推定10mと予測警報したい。そのために、現状の公衆通信網を補強するだけで使おうとしている防災関係者に理由と限界を共有したいと思うからなんです。

18146. 2012年03月14日 22時42分01秒  投稿:まりも 
先ほどの三陸沖(十勝沖)の地震、海洋プレート内の地震でしたね。
防災科学技術研究所のページを随時更新していて、マグニチュードの速報値がM7.6あたりになったとき、
まじでまずいことになったと思いましたよ。高度利用者向け緊急地震速報も最初からM7.0でしたし、
間違いなくある程度の津波が来ると思いました。
結果的にマグニチュードがある程度小さくて良かったですね。

しかし、スマトラと比較して考えると、余震活動はこんなもので済むはずがないとずっと思っている
んですが・・・、思っていた以上に低調ですよね。

それに越したことはないのですが、何か嫌な胸騒ぎがしてならない今日この頃です。

18145. 2012年03月14日 21時30分53秒  投稿:ちば 
先ほどの地震は 結構揺れが大きかったです
緊急地震速報も来ましたが
揺れはじめよりもわずか1秒ほど速いだけでした

いまも小刻みに 余震が繰り返し起こっているようです



地震予知とかいう話でなくとも
起こるたびに震源が自分の住んでいることろに
だんだん近づいて来ているのは、なんとも
嫌な感じがしますね

18144. 2012年03月14日 21時19分32秒  投稿:かわべ 
被害のほとんど無かった山形県天童市ですが,auとFORMAからは,2日間(12日の21時過ぎ)まで,携帯は,一切使えませんでした(i-modeはメールのみOK).テレビで繰り返し伝えていた災害伝言板やキャリアの災害伝言板もアクセスできませんでした.
11日の深夜に一度だけ災害伝言板(音声伝言板)にアクセスできたことがありましたが,被災地ではない,ということで,リジェクトでした.

生きていたのはメタルだけ(私の地域は,ADSLが来なかったために,ほとんどの家は,有線放送もしくはNTTのひかりです).
妻が午前中に千葉に出かけたので,帰宅困難者になっているはずでした.長野と大阪の友人に公衆電話から連絡し,携帯を教えて連絡を取ってもらおうと思いましたが,それらからも,千葉にいるはずの携帯には繋がらず,結局災害伝言板の書き込みで無事を確認(妻の携帯から千葉に住んでいる上の娘の名前で書き込みがあり,千葉に妻と娘で一緒にいることを確認)できたとの情報をもらいました.小雪がちらつく中,100円玉を握りしめて何回か公衆電話に並んでようやく安否が確認できた次第です.

18143. 2012年03月14日 17時13分47秒  投稿:ちば 
 [http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2532043/3463602]
Hal.Tさん>

わたしも同感です

いろんな電子機器に依存していて 
また、異空間での絵空事を見ることに慣れ

いま、自分のいるこの場所でという時に、現実として受け止める力が乏しかった

窓の外を、音や空気を感じていないのが 
よくなかった
そういうことでは いけないということがよくわかる 
その意味で貴重な資料ではないかという意味です 

ずいぶん前に 道路が水没しているのに
カーナビの指示通りに突っ込んでいって
立ち往生した老人
というニュースがありましたが
ポーランドでしたね 


18142. 2012年03月14日 16時44分45秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20110311touhoku/communication/index.htm]
水をかけるようですみませんけど、避難についてその方策はお勧めではないんだ。

自動車の渋滞もさることながら、通信の渋滞や途絶があり、皆さんが使っている便利そうな公共通信に頼るのは非常に危険だってことが今回の災害の教訓だと思うのです。

18141. 2012年03月14日 13時54分43秒  投稿:ちば 
自動車のカーナビの中には
通信機能を搭載しているものがあって
ユーザーの位置をGPSでリアルタイムに把握し
渋滞状況を把握しているものがあります

そのデータを使えば、高台避難に際して
渋滞が発生した様子とか
通信が途絶したタイミングとか
わかると思います

防災にとって非常に重要な情報となると思うのですが

18140. 2012年03月09日 15時19分05秒  投稿:TAKO@塩竈 
>18137.Hal.Tさま

宮城県塩竈市での状況
・携帯  きちんとした記憶がありません。幸い家族が共に行動できていましたので利用を控えました。
ちなみに、固定電話ですが避難先の利府町内で地震後(16時頃だったか)に「災害用伝言ダイヤル(171)」に繋がり、安否情報を登録しましたが、そのあとその電話も利用できなくなりました。

・インターネット(PC固定回線) 停電のため光回線は電力復旧まで利用不可。

・防災無線(塩竈市本町) 地震の揺れ終了後5分程度(つまりは15時くらい)からスピーカーから流していたと思います。なり始め時間はもう少し後だったかもしれません。体感的にはそのくらいだったと思います。
 内容は、サイレン、大津波警報(宮城県で6mの予想、高台への避難よびかけ)。わたしは防災無線がなり始めた直後に、車で高齢者たちと利府町方面に逃げてしまったので、いつまで鳴っていたのかは不明。 

・避難の決意のタイミングと理由
地震の揺れ終了後即座に、避難を決め、避難呼びかけを始めました。
理由は、50年前のチリ地震津波の被害を知っていたからです。(2010年2月のチリ地震津波などでも、自宅は避難指示区域となっており、その際にも避難していました。)

18139. 2012年03月09日 10時30分53秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/research/20110311touhoku/communication/index.htm]
まりもさんありがとう、ところで、私がちまちま集めた範囲の情報は↑のURLにあります、まだこの程度なんです。

18138. 2012年03月09日 09時59分41秒  投稿:まりも 
> Hal.Tさん
仙台ではDoCoMo、au、SBMともに地震最中からほぼ通じない状態でした。
Willcom同士だけが唯一いつでもすんなり通じておりました。

音声の発信規制はDoCoMoが最大で90%、auが95%、SBMが80%でした。
また、Willcomは対携帯各社への発信規制のみ18時ころまで50%程度掛かっており、
宮城県においてのみですがDoCoMoだけがパケット通信規制が30%掛かっておりました。

宮城県内での話ですが、DoCoMoでは14:46の発震後、14:48にはシステム許容上限値を超えた
通信状態となり、以後15:11までは呼損率が大幅に上昇していきました。
そこで15:11に音声およびパケットの規制が開始されたのです。

18137. 2012年03月09日 05時27分24秒  投稿:Hal.T 
あいかわらず3/11の時に起きた通信障害を1時間後ぐらいまでの時系列について調べているが、さっぱり通信業者は公開しない。守秘契約をすれば情報を所持しているので、見せてくれることはわかっている。でも、守秘して見せてもらっても役立たない。

災害は事後の対策も必要だが、最初に被害者、それも死傷者を減らすことが必要だ。死者が少なければ何とか立ち直れる。各種の観測と通信の対策が事後対策に偏っているのも、最初の津波観測と通信の失敗をきっちりと評価していないからだと思う。

そこで、皆さんに聞きたいのです。着目時間は地震直後から1時間、それ以後はわかっています
・インターネット、メイル、携帯電話Docomo,AU他は使えたのか?
・地域防災無線やスピーカーはいつまで、どのような情報を流していたのか?
・津波から避難する決意をいつどんな理由でしたのか?

ここに書いてもらっても、個人あてでも結構です。(内容は統計にして砂防学会で公開します)

18136. 2012年03月07日 17時25分10秒  投稿:TAKO@塩竈 
 [https://picasaweb.google.com/106277863983170684064/UTVrt#5649999368864583346]
前にも書きましたが、3.11が近づいてきたので・・・・投稿したくなりました。
塩竈では、50年前にチリ地震津波の被害を受け、現在は海岸から数百メートルとなっている、わたしの住んでいる町内でも、港から船が流されてきたりしました。多くの家が浸水被害を受けました。
現在では、町内には、しっかりとした防災無線のスピーカーもあり、3.11でもしっかりと機能しました。

しかし、小学生が4年生くらいで地域のことを学ぶための教材(地元の教育委員会が作ります)の防災の項目には、すでに津波に関する記述がなくなっていました。
大雨による浸水被害についての記述と置き換えられてしまっていたのでした。
大雨も津波も、その防災対策を知っておくことは有用ですが、結果として小学校で津波について学ぶ機会がなくなっていたのが現状でした。
塩竈は、逃げるための丘、そこに登る道がたくさんありますので、避難行動さえすれば、人的被害は大きく軽減されると思いますが、「教育」がなければ犠牲は免れないことを、心に刻み込んでほしいと今も願います。

ちなみに、貞観津波のことを事前に知っていた知人は一人だけでした。

東日本大震災の地震直後、わたしは人々に直ぐに津波が来るから逃げるよう指示をすることになりましたが、大人の人たちも、なかなか津波の危機を感じてはくれませんでした。
地震の揺れによる恐怖と、それが収まったことからくる安堵のなか、次にくる災害をイメージして、行動に移るのは、意外と難しいようでした。
ご高齢の方々などを、車に乗せて、内陸の利府町方面へ逃げていただきましたが、そのうち一台は、わたしの指示を理解していただけずに、港の方面に走りだしてしまい、とてもあわてました(結果的に、その車も津波からは逃げられたのですが。。)。

多くの人々は、防災無線から大津波警報のアナウンスが鳴り響いて、はじめて避難するかしないか(!)考え始める感じでした。わたしの家のあたりでは、浸水高が地面から数十センチ(塩竈港での浸水高さは標準海水面から約4mくらい)でしたが、ほとんどの人は自分のいる建物の二階に逃げただけだった、というのが実情だったようです。多くの人が自宅の二階などから車が目の前を流されるのを見ることとなったわけです。
幸い、塩竈では家屋流出が少なかったので、津波による犠牲者は、石巻などと比べて少数だったといえるわけですが、紙一重であったと思い返します。

今、塩竈では、老朽化していて震災にあった多くの建物が、危険建築物として取り壊しが進んでいます。うちの隣でも6〜7件の家が取り壊され、空き地が広がっています。津波で流されたのではなく、地震の揺れと液状化による地盤の変形と津波の水による被害で傷んだ建物が、今になって取り壊されて、結果として空き地だらけの町になっています。その跡地に新しい建物はほとんどできず・・・。そんな感じです。


18135. 2012年03月07日 14時02分16秒  投稿:おおさと 
 [http://dl.ndl.go.jp/]
 国会図書館デジタル化資料に3月12日から3月17日までの石巻日日新聞の号外(壁新聞)がアップされています。⇒アクセス数ランキング参照↑
 
 こういった記録の保存も過去の事実の共有につながるのでしょうね。

 最近、下記のような古い文献のデータベースが多くできている。
 災害に関しても多くの記述があり、最近、示方書等の由来を探るためによく見ているのだが、過去に苦労した記憶の何を学んだんだろうと思うことがたまにある。
 せっかく記録や反省点、そして対応に関する根拠と対策方法までがちゃんと書かれているのに、今回の地震を含めて同じようなことが繰り返されている。
 特に昭和20年以降そのことに気が付かれていないと思うのは、思いすぎなのだろうか?
 
・情報入手のためのリンク
                                          
※木名著百書(明治から1945 年まで)文献解題:
 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/s_book/jsce100/s100list.html


※土木学会デジタルアーカイブ
 http://www.jsce.or.jp/library/page/report.shtmll

 
※アジア歴史資料センター:
 http://www.jacar.go.jp/ 
 

※近代デジタルライブラリー:
  http://kindai.ndl.go.jp/index.html 


※国会図書館
  http://www.ndl.go.jp/ 

※日本建築学会図書館デジタルアーカイブス:
  http://news-sv.aij.or.jp/da1/

※国文学研究資料館
  http://www.nijl.ac.jp/


18134. 2012年03月07日 02時15分37秒  投稿:Hal.T 
3・11の地震を群馬県で体験したんですが、その時の、私と友達の子細経過。
2011年03月11日(金) 14時48分29秒 地震感じる
東北沖と知り、死者4万人に近くなるだろうと話をしていた記憶がある。

2011年03月11日(金) 15時26分51秒 釜石、全滅に近い津波だ
2011年03月11日(金) 15時31分54秒 サーバ復旧(前橋と千葉)
東北では岩手県立大学以外のすべての大学と研究機関へのインターネット接続がNG

2011年03月11日(金) 16時12分59秒 電話は不通になっている。東京では火災(我孫子)
2011年03月11日(金) 19時18分12秒 福島第一原発 緊急事態宣言
2011年03月11日(金) 22時00分13秒 東北の火山観測は停止状態(気象庁)

18133. 2012年03月07日 02時04分06秒  投稿:ちば 
 [http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68320135]
まりもさん>
 東部道路がなかったら、来ていたかもでしたね

 『仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う』という本が
1995年に絶版になっていましたが、最近再版されて、
仙台の金港堂で買いました。

このようなすばらしい本があったのに
生かせなかったのが、残念です。

18132. 2012年03月06日 23時28分10秒  投稿:まりも 
実際に仙台周辺では、国道4号バイパスを超えたところにまで過去に津波が到達していたという
事実を知らない人がほとんどでした。今だに知らない人のほうが大多数です。
それを知っていれば、少なくとも国道4号バイパスより西側まで逃げようとしたのでしょうが…。
自分は国道4号バイパスよりも西側の苦竹駅近辺にいましたが、そこでも梅田川などを津波が
遡上してくるととっさに判断し、揺れが収まる前から車で長町周辺の比較的標高の高い場所まで
避難しました。

揺れの長さから尋常じゃない規模の地震と判断しました。揺れが収まる前に、直感でM8越えを
確信しておりましたし、緊急地震速報の震源情報から仙台湾周辺でも高さ10m程度の津波が発生
するものと考えました。ただ、この付近は遠浅なので、津波の到達までは恐らく1時間程度の
猶予があるという判断もできておりました。この辺は我ながらとても冷静に考えられたと思います。

とにかく、揺れが収まってから動いたのでは渋滞に巻き込まれると思ったので、渋滞が発生する
前に脱出を試みて、普段とほぼ変わらない時間で20分後には目的地に着いていましたから…。

結果的には津波が国道4号バイパスを超えて来るようなことはありませんでしたが、波の回析により
仙台周辺の津波がより高くなっていたとすれば、国道4号バイパスを超えてもおかしくない状況だった
と考えています。

とにかく、過去の事実を皆で共有し受け入れることが大切なんだと思います。

18131. 2012年03月06日 23時08分05秒  投稿:ちば 
 [http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1072/20110604_01.htm]
なべさん>
 たぶん、地震が大きかったので、
実際に多くの人が高台に逃げたんだと思います
どれくらいの標高をもって高台だと思うのかが、
違っていたのかもしれません
石巻の日和山のような都合の良い高台はそんなにありません

石巻の北上総合支所は、宮城沖地震の想定津波到達高度より、50p高いという
位置を選んで作られた新しくできた施設で、
ちゃんと津波の避難所にも指定されていたわけです。
そこに避難した人たち
防災計画通り 避難訓練通りに 行動したひとが津波にのまれ、
生存者わずかに3名だったわけで、
バリアフリー重視、高台軽視という感じかと

18130. 2012年03月06日 20時54分32秒  投稿:なべ 
ちばさんもそうだと思うけど、

私は小〜高校を仙台で過ごしたので、「海辺で地震にあったらとにかく高台へ逃げろ」と何度も何度も言われた覚えがあります。だからあの日も、一周年特番の続く昨今も、逃げない人がいた、少し逃げて安心した人がいたことが納得できません。いつの間にそんなことになったのかなあ?それが近年の津波警報の空振りの所為なのか、それとも「そんな時代じゃない」と津波を軽視する時代状況だったのか、近年の学校の避難訓練(いや家庭の意識なのか?)がどうだったのか。陸前高田の奇跡と、大川小学校の悲劇と。たまたま私の父親が東北電力で災害対策に関わっていたからなのかなあ?

18129. 2012年03月06日 13時57分12秒  投稿:Hal.T 
実はね、私が電子技術や防災以外の動物や生態学に関心を持ち始めたのは、ちばさんの赤色立体地図からなんだ。あれがどうして立体に見えるのか?、非常に不思議で、おそらく人が進化していく道筋の中に原因があると思ってね。

中生代まで、哺乳類は日蔭者と言うか夜にガサゴソ。新生代になってからも霊長類はやはり森の中で生きていた。哺乳類はだいたいが色感覚が貧弱で昆虫と花のように色彩をベースにしている感じは無い。したがって森の中で夜間や薄暗い所で立体視する必要性があれば、どうしても赤色側に偏った立体視をするのだろうと思っている。

ま、そのあげくのはてに人の進化ってのを読んでいるとね、人はやはり動物なんだ。しかし、動物とは言ってもかなり変種で、生まれてから後の情報で生きている部分も多い。それが、このはなしのきっかけなんだ。

また、別の側面では生態学と生物進化と地質の関係がものすごく密接だってこともおもしろい。ひいては砂防や防災と生態学と進化の話はべったりひっついていると思うのさ・・・・世界はおもしろいよ。

18128. 2012年03月06日 10時50分08秒  投稿:ちば 
1>体で覚えていること
地質調査で沢詰めをして尾根まで出ると
たいてい道はない あの手この手で戻るわけだが
沢を降りるのは危険性が高いので
尾根をたどる 時に藪に遭遇する
そこは 入ってはいけないので
ほかのルートを考える 臨機応変に
どうやって明るいうちに無事に帰るか
場合によっては 滝を飛び下りて戻ったこともある
そういう経験が、学生時代からたくさんあるわけだが
いろいろなところで役に立っていると思う

2>知見とは何か
何かが来るとか起こるとかいう外部の予知情報に頼るのは
あれなので あくまでも 自分の知識で判断するということか
大切なのは その地点の地図を読むこと
 地形から判断するのではないか
どっちが高いか どっちにいくか
渋滞しそうだとか 
その瞬間にどこにいるかはわからないわけだし

18127. 2012年03月06日 09時22分43秒  投稿:Hal.T 
実際
1>やっぱ、体に叩き込むしかない → 反射的なもの
2>とっさには作れなくなってて → 記憶と知見による行動

この2種類が緊急時の反応としてあるので、1>の方策だけではうまくいかない事がわかるでしょう?

18126. 2012年03月05日 23時39分28秒  投稿:コバやん 
18120で仰っているように、
やっぱ、体に叩き込むしかない、、ってのが、正解なんじゃないでしょうか
そして、すぐに引き出しから出せるように継続訓練がなされているかどうか。


卑近な例で申し訳ありませんが、
料理も一緒かも、、と思いました。
グータラ兼業主婦の私は、(子供が小さいうちは時間に追われてて、)お恥ずかしい話ですが、
気がつけば10年以上、きんぴらごぼうをつくってませんでした。
だから、たかがそんなものでさえ、久しぶりにつくろうかなとゴボウを買ったはいいけど、
とっさには作れなくなってて、我ながらびっくりしました。
ちゃんと時間のあるときに復習しないと、バタバタ忙しい平日にはなかなか。。
(←失敗したら明日の弁当のおかずが困ると思うと、よけいに平日は敷居が高くなる。。
  休日は休日で後回しになっちゃうし。。)

「そういう能力が本来備わっているはずだけど、、」というのは、これと共通するところがあるように思います。
(←あまりにも卑近な例ですいませんが。。)

18124. 2012年03月05日 07時05分39秒  投稿:ちば 
富士山の現場に数十人で一斉に入ったことがありますが
毎朝、円陣を組んで、やりました。
KY活動。足元よし!とか
一見、もっともらしい堆積物に見えるが、踏み込むと
穴が、ポッカリとできたことがあったから、みんな気をつけろとか
多くの現場とか、想像力とか、そのへんの地質がよくわかっているとか
いういわば長老役 は私だったんで、
いちばんはらはらどきどきしてたかもですが
そういえば、朝のKY活動のときは、若い人にもやらせましたね。

おかげさまで、無事に無事故で

18123. 2012年03月05日 03時31分36秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/madlabo/company/kiken1.htm]
いや、長老ではなく、そういう想像力と感受性があるものが指揮すべきだと思うし、現場に入る段階でスポーツのように輪を組んで、命令や指示の絶対性と全員の元気具合を確認するんだ。これは、チバさんとこでもやるべきだと思う。ダム工事など大手の現場では必ずそうしていることは知ってるでしょ。

想像力は知識に裏付けられるから、災害現場を多数見て、その災害の原因や、そこの地質がそこそこわかっている者が安全管理すべきなんだ。だから、いつも私になってしまい、興味の中心である肝心の作業監督は別の者になる。作業監督したいけれど、それよりも安全の方が大事だと思うんでね。

しかし、判断がみんなの命にかかわるので、ものすごく気を使うし、安全命令は即時+断固として守らせる必要があり、ある種の独善性が必要だってのも私の普段の態度や意識に沿わないんだな。

18122. 2012年03月05日 00時36分06秒  投稿:ちば 
Hal.Tさん>
 いろんな失敗の経験、しかも大失敗ではなく
ひやりとしたくらいの経験が たくさんある
そういう 長老のような人が 安全管理をするのがいい
というかんじでしょうか

18121. 2012年03月03日 23時40分08秒  投稿:Hal.T 
 [http://www.madlabo.com/mad/madlabo/company/kiken1.htm]
ダム工事で谷を切り開いている所に行ったりした経験から言えることは、実際にそんな極度に危険な場所で安全管理をする手法があるようです。とにかく安全を維持するってのは知らせるだけじゃダメで、ある意味で軍隊的なヒエラルキー構造が無くては無理みたい。

URLは、実は災害地に学生を連れて行って見学させた経験からの記述でもあるんです。その他、学者先生と一緒にN君と3D観測をした経験で学者の行動を見ていて、我々が連れていく作業者の安全を危惧したからでもあるんですけどね。

もひとつ言えば、私は30年ほど前に、山や谷を越えて新潟から関東まで引いてある高圧線の山中保守をしていて、彼らの安全管理手法に感心したってこともある。とにかく安全を指揮する人間を置かなくては駄目だってことなんだ。そして、安全管理者は絶対的権限を持っていることを皆が認識する必要がある。

こういう経験から津波災害について言えば、起きるべくして起きたとしか言いようがない。つまりね、民主主義の時代は誰か有力者が命令しても無条件にしたがわせるのは無理。民主主義の政治がへたれなのも仕方がない。そういう社会の構造的なものじゃないかなと思うんだ。

18120. 2012年03月03日 21時28分53秒  投稿:さとぐち 
生き残るための能力は本来備わっているはずでしょうから,
洗脳しなくても,頭で考えるな!,体で感じろ!,
というような訓練がされていればいいのだと思います.

Hal.Tさんのいわれる,アメリカの海兵隊でやっていること,
というのが,その本来的な能力に近いのだと思います.
頭で考えるから,これは安全かどうか?というような余計なことを考える.
なんか危なそう,逃げよう,というような...

話はちょっと脱線しますが,避難訓練って,
体が勝手に動くくらい頻繁にやらないと実際の訓練にはなりません.
マニュアルを見ながら訓練の練習をしているくらいでは
本当に危機がきたときには,マニュアルがないから動けない.
それが頭で考えているってことなんだと思います.

じゃぁ,どうしたら体で感じられるようになるのだろう...
それはよくわかりません.それが染脳なのかなぁ.

18119. 2012年03月03日 20時28分31秒  投稿:ちば 
文明社会にどっぷりつかっているので
すっかり眠ってしまっている

生き残るための 本能 を

とっさのときに 呼び覚ます

という感じだったら

脳を洗う という感じですが


すっかり、忘れてしまってるというか
初めから備わっていないのであれば

染脳 でしょうか


18118. 2012年03月03日 17時56分26秒  投稿:なべ 
>18116.

それは「洗脳」ってことかなあ?

本当に生存に有利な行動なら、いずれ避難行動遺伝子が出現して子孫が繁栄するかも知れませんね。

18117. 2012年03月03日 12時40分14秒  投稿:Hal.T 
>仲間の誰か(と見なせる者)がでっかい声を上げて向こうの方に走って行けば、・・・・もし何も確認できなくても、その仲間が仲間うちの上位者であれば、とにかく一緒に走るでしょう。これが霊長目(サル)、ヒヒやチンパンジの社会集団を生き残らせてきた反応と言うわけです。

この反応を引き起こすためには、DNAでなくてもできる。それがミームと言われることもある、人間の文化的または言語による焼き込みです。この方法は教育とも言われますが、教育によって焼きつけられた行動の強靭さは小さい。おそらく、子供のころにさんざん教え込まれても、気象庁の津波予報が外れるたびに解除されていった。

したがって津波警報は確実にその場所の値を示す必要があり、予報はあいまいでもいいが、警報は実測で発表する必要がある。と言う意味は気象庁で処理した警報ではNG、だって通信網が壊滅しているから実測値も警報も届かない事を想定するのが現実だったし、これからの道でしょう。(これが今当方がやっている事業のもくろみです)

ところで、そのミームによる訓練は軍隊でやっています。米軍の海兵隊などでは、兵隊は生き残れば勝ちですから、とにかく生き残る訓練が最優先、死んだり怪我したら重荷だもんね。

18116. 2012年03月02日 23時13分42秒  投稿:ちば 
新規 本能インストールとかいって

「地震が来たら高台に逃げる」という本能を

追加で組み込めないものでしょうか ねえ

教育とか 石碑とか そういう危ういものではなく

遺伝子レベルで 防災を 


それはそれで 混乱するかなあ

18115. 2012年03月02日 20時47分59秒  投稿:ちば 
 [http://tsunami.media.gunma-u.ac.jp/]
1960年に石巻はチリ津波に襲われました
(志津川なんかと比べたら被害は大したことなかったけど)

その後、毎年、同じ日に
住吉公園の山に会った望楼のサイレンを鳴らして
避難訓練とかやっていました。
(そのサイレンの音がとても怖かったです)

そのうち、川の近くを離れて
山の上に引っ越してしまったのでよくわからないけれど

それが いつまで続けられていたのか
(住吉公園の望楼は取り壊されているので)

そういう検証が 必要

私たちは どうやって忘れてしまったのか

そこを 正しく反省しないといけない

津波で 建物がみんな壊れて はじめて そこに津波の到達碑があったのに
気が付いたとか(女川町)

津波の石碑があったけど 邪魔だったから 片づけたとか(石巻市北上)


群馬大学の津波デジタルライリィ


18114. 2012年03月02日 09時34分24秒  投稿:さとぐち 
>ちばさん,Hal.Tさん

人がたとえば道ばたで命の危険にさらされるような時,
たとえば通り魔とか肉食獣が動物園から逃げたとか飛行機が落ちてくるとか,
そういう状況に出くわしたときには,Hal.Tさんのいわれるようなことになると思います.
見て,危険だ,と感じられるから.
ヒトとしての能力で,たくさんの人が逃げてくるなら,逃げなければ,となるのなら,
津波などでも,多くの人が一目さんに逃げる状況ができればいい,ということだろうと思います.

問題は,地震や津波は,どれだけ危険か?というようなことを,
ほとんどの人は経験的にはわからない,というところかと思います.
命をかけて守るたい家財道具がある,という意識ではなくて,
命をかけている,という感覚がないことが問題かと.
津波がくるかもしれない危険性,ということを多くの人が知っていれば,
たくさんの人が一目さんに逃げる,それをみて知らない人も逃げる,とか.

だからこそ,ある自然現象があるときには,
何をおいても一目散に逃げなければならない(逃げるべきだ)
というような防災教育が大事なのかなとも思います.

たとえば,ちばさんが例にだしておられたような,三匹のこぶた,についても
三匹のこぶた,のもともとの趣旨を理解した上で,あえて日本ではこういう解釈ができる.
なぜなら〜〜,というような話でも印象に残るかもしれません.

さて,そういう教育をどこでやるか?ですね.

18113. 2012年03月02日 08時06分59秒  投稿:Hal.T 
ふーむ、最近はアマチュアとして動物生態学や進化に首を突っ込んでいる。
人は 動物界・脊索動物門・哺乳類・霊長目(サル)・ヒト科・ヒト属(ホモ)・サピエンス(我々)、とある。その中で、霊長目からヒト属に至る間のどこかで、生まれ出た後に得られた知識が人の生存に決定的な力を持つようになったらしい。つまり、先人から教わった世界の見方、会話法、そのような体験や知見を情報として記憶することが、この数百万年前から始まったらしい。

しかし、人の行動のどれだけの部分が動物的で、どの部分が人間的なのか?、と問えば、いろいろとおもしろい側面が見えます。と言うのも、観察するシチュエーションによって大幅に違ってくる。

仲間の誰か(と見なせる者)がでっかい声を上げて向こうの方に走って行けば、あなたは着目して彼が来た方向を見る。おそらく追跡してくる危機を見て把握しようとする本能ですね。もし何も確認できなくても、その仲間が仲間うちの上位者であれば、とにかく一緒に走るでしょう。これが霊長目(サル)、ヒヒやチンパンジの社会集団を生き残らせてきた反応と言うわけです。

ヒヒについてはうひとつ。ヒヒの天敵はヒョウです。追いつめられたヒヒの集団は、ときどき若いヒヒが数頭でヒョウに戦いを挑みます。追い返すこともできれば犠牲になることもあります。人の社会間でこれが起きると戦争と言います。戦争が避けられないと言う意味で言うのではなく、そういう小社会を守るSWが人にはあると言う事を示したいから言及しました。

防災という社会的行為は、この人の動物性と人間性をうまく使わなくてはいけないと思って書いてみました。



18112. 2012年03月01日 08時56分47秒  投稿:ちば 
さとぐちさん>

 脆弱性というのでしょうか

人間の生物学的な進化と同じように
社会も進化しているんだけど進化の速度が速すぎて、
自然災害の経験が少ない
適応や修正が追いついていない

命を賭してマデ 守るべき家財って
あるのでしょうかねえ

18111. 2012年02月29日 09時01分10秒  投稿:さとぐち 
ちばさん>

ちばさんの思考の方向はよくわかりますし,
そういうことを言えたらなぁと思いますが,
なかなか難しいところがあります.

昔の日本人って,壊れたら立て直そう,
というような部分はあったのかもしれないけれど,
現代人と大きく違うのは,所有するものが
ほとんどなかったということもあるんじゃないかとか.

地震や火事,津波なんかでも,家をおいて逃げられたのは
持ち家じゃなかったとか,もって逃げなければならないほどの
家財道具もほとんどなかったのではないか?とか.

現代人ほどたくさんの所有物があれば,
車にいろいろ積み込んで逃げたい,
もしくは,なるべく頑丈な家をつくって,
そこの中にあるものは全部守りたい,
というようになるんじゃないかなぁとか.

災害規模が大きくなるのは,
人口の増加とか,裕福になったとか,
そういうこともその要素の一つかもしれません.
そう考えると,時代時代にあった災害への考え方や対策が
必要なのかなぁとぼんやり浮かんできます.

18110. 2012年02月29日 08時41分41秒  投稿:ちば 
津波とブーフーウーは
無理があるかなあ

でも、なにか バラックとか 仮設とか プレハブとか
トレーラーハウスとか

地面から 簡単に 外れる 動物のような 住宅
家ごと 避難できるような
そういう 進歩は ないのか

津波で 被害を受けたのが
住処を低いところに作っていた
人間が最大で

カモメや魚は 折り込み済みで
平然としていた

人間には まだまだ なにか 足りない

18109. 2012年02月28日 20時27分54秒  投稿:ちば 
さとぐちさん>

なんだかよくまとまらないのですが
なにか、私たちが忘れてしまったことがあって
それを思い出せるんじゃないかと・・・


江戸時代
木造家屋は 地震に強いが火事には弱い

そこで
焼けたらまた、立て直す
そのためには
簡単に立てられるような家
にしておけばいい

大火はいつかやってくる。対策としては
金庫や土蔵で大切なものを守るくらいしかない
そんなものが建てられない一般のひとは、
いつ燃えてもいいように、燃えることをよく考えた家づくり?
住み方をしていたのではないか 火事は想定内だったんだろうと

2011年の津波で流された跡の
空地を見て考えたんです

なんで、いままではここに
平気で住んでいたのか

三陸の海岸では、これくらいの津波は想定内だったんだろう

災害を忘れたんじゃなくて

津波で流されることを考えに入れた
いろんな知恵があって
それを忘れたんじゃないかと

それは何か

ブーフーウーのウーさんの家のように
立派な家もあり、堤防なんかの
インフラが整備されて 立派なものがあって 
たいていのことは大丈夫と
ハードで守り切れないような大規模なことは
めったにないからまあ想定しないでもいいとか
自然を正しく畏怖することを忘れて
いたのではないか

もしも ブーさんの家だったら
一目散に高台に逃げたんじゃないか
 
あんまり良くまとまりませんが
そういう ことです

18108. 2012年02月28日 19時37分29秒  投稿:さとぐち 
>18106 ちばさん

三匹のこぶたは,ヨーロッパの民間伝承話だから,グリム童話とかで取り上げられるような場所(ヨーロッパでもイタリアなら別だけれど)では,地震も津波も関係がないからではないでしょうか?
NHKの話は知らないのですが,もとの話では,敵対するのはオオカミで,オオカミが簡単に家を吹き飛ばすことができるという設定もあるので,必ずしも自然から身を守る,ということはテーマになっていないと思います.ってそんなことは分かった上での発言だろうなと思いつつも,普通に反応...

18107. 2012年02月28日 13時34分26秒  投稿:ちば 
ようやく完成しました

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丸善出版 価格: ¥ 36,750  地盤工学会編


18106. 2012年02月28日 12時12分09秒  投稿:ちば 
記憶なので間違いがあるかもしれませんが

NHKでやっていた「ブーフーウー3匹のこぶた」
あの童話のような
人形劇は何が言いたかったのかなあ

よく覚えているのは

ブーの家 わらの家   初期コストは安いすぐにできる   雨はしのげるが 風で吹き飛ぶ、火事にも弱い

フーの家 木の家    初期コストは中くらい 雨風はしのげるが 火事に弱い  

ウーの家 レンガの家  初期コストがかかる時間もかかる  雨風にも火事にも強い 


でも なにか腑に落ちない

地震の時は ウーのレンガの家が 一番危険 ではないのか

そして
津波の時は わらの家なら その時逃げて 
流されても すぐに作れる から いいかもしれない

18105. 2012年02月25日 16時39分34秒  投稿:ちば 
 [http://www.bsfuji.tv/top/pub/galileox.html]
明日の8時から、BSフジで富士山の番組あります

赤色立体地図もでます

18104. 2012年02月18日 01時38分57秒  投稿:ちば 
TAKO@塩竈さん>
スケッチでその様子がとてもよくわかります

このあいだは
家の裏の崖を彫り込んで
物置みたいにして利用していた空間だけが
残っていました


18103. 2012年02月13日 18時04分40秒  投稿:TAKO@塩竈 
 [https://picasaweb.google.com/106277863983170684064/UTVrt#5649999368864583346]
塩竈市浦戸諸島の「水田」について
「干拓」と書いてしまいましたが、必ずしも「干拓」だけではなく、島の入り江を「埋め立て」たところ、「干拓」したところ、もともと乾燥した低地だったところを水田としたところなどが混在しているのだと思います。
ただ、島の入り江の入り口を堤防で仕切って、その陸側を水田としてあるところがたくさんあります。
宮戸島蛤浜など。

リンクは、昨年3月に宮戸島月浜を撮影した写真からおこしたスケッチです。

18101. 2012年02月13日 01時48分24秒  投稿:ちば 
 [http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%AE%A4%E6%B5%9C&hl=ja&ie=UTF8&ll=38.331221,141.126595&spn=0.016277,0.033023&sll=36.5626,136.362305&sspn=66.197495,135.263672&brcurrent=3,0x5f89907d90d86579:0xe1121910e1f28773,0&hq=%E5%AE%A4%E6%B5%9C&t=h&z=16&iwloc=B]
TAKO@塩竈さん>

 このあいだ、正月に帰ったときに、宮戸島はちょっとの時間ですが
よることができまました。松島湾側の縄文村あたりと
太平洋側の大浜や月浜とのあまりの違いに驚きました。
大きな被害を受けた月浜の建物は、ほとんど除去されて
ほとんど更地になっていました。

寒風沢島は空中写真で見て特に被害がひどかったので心配
していたところです

島にしては広い水田があると思っていたのですが
干拓による水田だったんですね
チリ地震津波のことは知りませんでした。

18100. 2012年02月12日 20時44分32秒  投稿:TAKO@塩竈 
我が家の回り、津波と地震の被災により被害を受けられた建物が次々に取り壊されていっています。
うちの2軒となりから3軒、その向かい2軒が取り壊されていっています。やたらと冷たい風が吹き抜けます。

先週、塩竈市浦戸諸島(松島湾内)の寒風沢島に行ってきました。
松島湾の島々の内、宮戸島(東松島市)と、塩竈市の4島(寒風沢島、桂島、野々島、朴島)が、住民の暮らす島です。宮戸島は橋で本州と繋がっていますが、塩竈市の4島は、市営汽船で渡ります。フェリーはありません。
島の人々を支える産業は、カキやノリ、ワカメの養殖を主とした漁業と農業、そして民宿などです。
東日本大震災では、これらの島々は、他の無数の無人の島や暗礁とともに本州側の塩竈市、松島町などの沿岸部を守る天然の防波堤のようになりました。すなわち、津波の被害を最前線で受け止めてしまったともいえる感じでした。島の民家の半分くらいが失われました。もちろん養殖事業の施設も全て破壊されました。
また、島の集落は、もともとは島の低地の湿地帯を埋め立てた平地にあり、液状化によっても建造物が壊れました。防波堤も桟橋もみな被害を受けています。
結果、人口数百人のうち半分くらいが本土に避難生活をされ、島に残った人々うち、数十世帯もまた島の仮設住宅で生活されています。住宅の半数くらいが流出など全壊の被害。

震災から11ヶ月ですが、松島湾ではワカメの養殖、ノリの養殖が少しづつ再開されています。
島の低地を干拓して作られていた水田は、津波で軒並み海水に埋まりました。海との境の防波堤が津波で破壊されてしまったところもあります。
先週、寒風沢島の水田を拝見しましたが、壊れた防波堤が、大きな土嚢で仮復旧していたものの、その陸地側には潟が残り、水田自体も除塩工事がされたはずなのに、一昨年の稲刈り痕の上に津波がもたらした海の泥が10センチほど堆積し、その上に海水があり、さらにそこはカニの巣がたくさんあるという状態でした。水田で海のカニです。ほとんど干潟そのもの。
実はこうした島の水田は、50年前のチリ地震津波で同じような被害を受け、そのあと何年もかけて復旧したものでした。島では淡水の水源が限られていますので、そして水田自体が干拓地ですから除塩作業も実に大変なのだと思います。(海岸にはチリ地震津波被災の記念碑があります。)

そうしたことを見聞してきたのですが、さて、今後どれほどの方が島で生活をされるのだろうかと思うと、つらくなります。
寒風沢島でたった一軒のお店も津波で流失されてしまい、簡単な買い物一つするにも本土まで渡らなくてはなりません。

東北にお出での際は、特に松島にお出での際は、是非、塩竈市の浦戸諸島(桂島・寒沢島・野々島・朴島)に足を伸ばしていただき、島ののどかな気分を味わっていただきたいとお願いするばかりです。
島々の目の前を通過してしまう、松島観光の遊覧船がこうしたしまに寄港するようになればいいのにといつも思っています。
ということで、被災11ヶ月のご報告でした。


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