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三宅島2000年噴火
自然現象と社会の関係
ある火山学者のひとりごとその過去ファイル → そして、ここ
  研究 数理設計研究所 玉置晴朗 Hal.T
2007/09/19 - 2008/02/11
Index
数理設計の著作物には通告すれば転載利用を許可します。権利者が数理設計であると明示していない著作物は権利者の許諾が必要です。権利者を明らかにしたくない事情などがあって権利者を明示していない著作者へは当方で中継ぎします。すでに過去7年の間過去ファイルを維持してきました、同じように、これ以下のフォルダ構造を維持するつもりですから、LINKを利用して自分なりの整理を試みられれば許諾の必要ありません。

★公開は、賛同者を集めるためではなく記録の利用を進めるためです。情報獲得の経緯によっては批判が出るでしょう。災害対応、災害情報は合法性を守ることでは成せないこともあります。それらを課題にするためにも公開すべきだと考えています。情報を出すことでしか情報を集め利用することはできないのです。

 このページは2000年の6月頃から始まり9月の全島避難に至った経過と、その後の三宅島と難民の記録を主にします。この記録はこれからも確実に起きる大規模災害にあわれる方々、行政の方たちに公式情報+マスメディア情報に対する災害現実の落差について考える種になって欲しいと思いますし、被災者が生き抜いていくためにいくばくかの参考になれば幸いです。

 方針をいくつか立てましょう。事実を克明に記録すること。個々の事実を関連付けて再編成すること。それから考察を仮説として提供しましょう。ここでの「事実」とは社会と自然の関係性(現象や文書)を重視しています。噴火後7年、冷静に見直す時期になりました。

資料URL


ビデオ

注意:このビデオは640X480の高解像度(2MBPS)で掲載しています。1度目は全部を読み込むまで
スライダで任意の場所に移動できず、2度目以後は初期化に30秒ほど待たされ動画が始まらない
ことがあります。
ファイルをダウンロードしてからご覧になるとスムーズです。ウインドウズの場合は、右クリックして
「対象をファイルに保存」を選択します。インターネット接続環境によりますが、ファイルひとつの
ダウンロードに10分から1時間程度かかるでしょう。

★手持ちの公開可能なビデオや写真があれば提供をお願いします。→mad@mail.wind.ne.jp

撮影者(または入手先)は佐久間達己さんと友人

ビデオ1 408MB、29分14秒 2MBPS
0030 8月9日ヘリコプター空撮
0600 8月10日噴煙
0724 8月14日噴煙
0854 8月18日噴煙、降灰
1431 8月21日積灰
1659      三七山
1729      椎取神社
1954      伊が谷道路の大穴
2016 8月29日火砕流
2350 9月1日積灰
2602 9月3日三宅島空港の地形変化、噴煙
2845 9月4日噴煙
ビデオ3 365MB、26分20秒 2MBPS
2001年11月2日
神津島から三宅島へ渡った観察記録
ビデオ2 135MB、2MBPS
村営牧場
村道にあいた大きな噴石の跡
ビデオ4 716MB、2MBPS
村営牧場

文献資料


情報提供のために

 2000年三宅噴火の後も毎年のように災害地に出かけます。するといつも霞のようなオリが残ります。災害が起きたときに被災者や地元の行政が最優先にしなければならない事(もちろん緊急の救助などは別として)、組織的にすべきことは広報部の確立と断固とした公開ではないかと感じるのです。決して誰か他人(上位行政やマスコミや学会)にその作業を任せてはいけないのです。

 三宅島の噴火でも都や国から支援を得るために、関係者が努力してきたのは良く知っています。都や国の行政の人たちにお願いするのと同等以上の力をふりしぼって災害の現実を見せつける作業が無ければなければ何も進展しないのではと感じます。そう、都や国の行政は国民の意識を背景にしているので意識の流れを誘導する努力が必須なんです。

 マスコミ頼りではほとんど効果が無いのが、この集積の分析から明らかになるのかもしれません。マスコミは自分の都合良いところをつまみ食いする輩と心得たほうがいいでしょう。最下層の行政や住民側からどんどんと情報を公開して、つまみ食いをマスコミに任せたほうがいいのでしょう。
 2000年噴火も、ここに掲載するビデオや写真、「ある火山学者のひとりごと」の過去ファイル、マスコミの記録、行政の報告などを並列的に分析してみる時期になりました。

 当時は、ときどきの噴火のイベントに対して、災害の現象面や対応だけにとらわれていました。7年たって、この蓄積を振り返りみると、自然現象、そこにいた記録者、報道、分析する立場の違いによる差異、それから行政の動きを追跡できる素材であり、三宅の将来を含め一般大規模災害の被災者の未来を左右する情報なるのかもしれません。
 行政の意思決定に被災者の安全と未来が大きく影響されるなら、その分析が中長期的にはもっとも大事な災害対応のノウハウになると思います。このページは誰かを非難するためではなく、原始情報とその整理や流通を通じて被災者側に立つと言う意味は何なのか、そして情報を誰が支配するべきなのかについてを主な課題としましょう。

 情報提供者に感謝します。まだ三宅島の災害は進行中です。三宅島だけではなく過去の、そして未来の災害に対応し関与することを志す方の参考になれば幸いです。

モノローグ
 58歳、貧乏な日本に生まれてからもう人生の8割が経過してしまった。バラック家並みがつづく3歳頃の記憶がありありと、まるで現在のことのようによみがえる。数年前から災害地の傍観者としておとずれ、衝かれたように話す被災者のしゃべりにつきあう。どうして被災者はよく話をするのだろう。不思議に感じていた。

 人は強烈な経験を物語にしようとしているのだ。記憶を物語へと編み出すことで記憶は不滅のものとなる。それが物語というものの目的なのだ。物語が過去を未来に結びつけるのだ。物語というのは夜更けの時刻のためのものだ。どのようにして過去の自分がこうしてここにいる今の自分につながっているのかわからなくなってしまうような未来の暗い時のため。

 物語というのは永遠という時間のためのものだ。記憶が消滅していまい、物語のほかにはもう何も思い出せない時のため。だから私は傍観者として物語を聞き、その物語を私の物語にするために再編する。

「本当の戦争の話をしよう」 ティム・オブライエン 文春文庫 よりの剽窃改作




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